真田幸隆(真田幸綱)が武田信玄の家臣になる理由

NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公となる真田幸村(真田信繁)の生涯をあらすじとネタバレで紹介する真田三代記「真田幸村(真田信繁)の生涯のあらすじとネタバレ」の祖父・真田幸隆編「真田幸隆(真田幸綱)が武田信玄の家臣になる理由」です。

このページは「真田幸隆(真田幸綱)の生涯のあらすじとネタバレ」からの続きです。

真田幸村の生涯のあらすじとネタバレも目次は「真田幸村(真田信繁)の生涯のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■真田幸隆(真田幸綱)の失望
武田信虎・村上義清・諏訪頼重の3氏連合軍の侵攻を受けて領土を失った海野一族と真田幸隆(真田幸綱)は、信濃国小県郡から隣接する上野国(群馬県)吾妻郡へと逃れ、上野国(群馬県)を支配する関東管領・上杉憲政を頼った。

上野国(群馬県)吾妻郡には、海野一族の羽尾氏や鎌原氏などが土着しており、上野国(群馬県)へと逃れた真田幸隆(真田幸綱)は始め、上野国吾妻郡にある羽尾城の羽尾幸全(はお・ゆきてる)を頼ったという。

真田幸隆(真田幸綱)は羽尾幸全の娘を妻(側室)にしており、羽尾幸全は義父にあたる人物である。

その後、真田幸隆(真田幸綱)は、関東管領・上杉憲政に拝謁し、上杉憲政の家臣で箕輪城(群馬県高崎市箕郷町)の城主・長野業正の元に身を寄せ、領地を回復する機会をうかがった。

こうして、海野一族と真田幸隆(真田幸綱)は関東管領・上杉憲政の元で、失った領土の回復を目指す事になる。そして、その機会は直ぐに訪れた。

■武田信玄の台頭
村上義清らと共に信濃国東部へ侵攻し、信濃国佐久郡を制圧して甲斐(山梨県)に凱旋した武田信虎(武田信玄の父)は天文10年(1541年)6月、娘婿の今川義元と会うために駿河国(静岡県)を訪れた。

すると、その隙を突いて嫡男・武田信玄が、父・武田信虎を追放して、武田家を乗っ取り、武田家の家督を相続したのである(武田信虎の追放)。

(注釈:父・武田信虎が追放された理由には諸説があり、詳しい理由は分らないが、家臣の総意だったされる。)

すると、上野国(群馬県)の関東管領・上杉憲政は、甲斐の武田家が混乱している隙を突き、信濃国(長野県)東部の小県郡へと侵攻を開始したのである。

こうして、関東管領・上杉憲政の元に身を寄せている海野一族や真田幸隆(真田幸綱)に、旧領地を回復する機会が訪れた。

ところが、信濃(長野県)の豪族・諏訪頼重は士気が盛んだったので、関東管領・上杉憲政は戦わずに諏訪頼重と和睦を結んで、上野国(群馬県)へと引き上げてしまったのである。

(注釈:上野国の関東管領・上杉憲政は、今川氏真など共に、天下の無能・愚将として評価されている武将です。)

このため、海野一族の旧領地回復は実現せず、祖父・真田幸隆(真田幸綱)は関東管領・上杉憲政に見切りを付け、武田信玄の元で旧領土の回復を目指すことになる。

■六連銭(通称「六文銭」)の旗印
伝承によると、真田幸隆(真田幸綱)は関東管領・上杉憲政を見限り、武田信玄の元で湿地を回復する事に決めたとき、六連銭(通称「六文銭」)の旗印を使用するようになった。六文銭は三途の川の渡賃であり、決死の覚悟の現れだとされる。

六連銭(通称「六文銭」)の旗印は真田家を象徴する家紋だが、一説によると、元々は滋野御三家「海野氏」が使用していた家紋とされる。そして、真田家の定紋(正式な家紋)となるのは江戸時代に入ってからである。

■祖父・真田幸隆が武田信玄の家臣に
一方、武田信玄は天文11年(1542年)、信濃の豪族・諏訪頼重と同盟を結んでいたが、諏訪頼重が上杉憲政と勝手に和睦したことを同盟違反として、諏訪頼重を攻め、諏訪頼重を自害に追い込んだ。

そして、武田信玄は、諏訪氏を攻め滅ぼすと、信濃国諏訪を足がかりとして、本格的に信濃国(長野県)侵攻を開始したのである。

対する信濃国(長野県)の豪族は、上野国(群馬県)の関東管領・上杉憲政の支援を受けて武田信玄に抵抗したが、信濃国(長野県)の豪族や関東管領・上杉憲政は次第に疲弊していった。

しかし、関東管領・上杉憲政の元に身を寄せていた海野一族は、未だに上杉憲政の元で旧領地・信濃国小県郡を回復しようとしていた。

このようななか、真田幸隆(真田幸村の祖父)は、関東管領・上杉憲政に見切りを付け、同族の海野一族とは袂を分かち、武田信玄の家臣となって、旧領土の回復を目指すことにした。

真田幸隆(真田幸綱)が武田信玄の家臣となった経緯や時期は不明である。一説によると、武田信玄の軍師・山本勘助が真田幸隆(真田幸綱)を武田信玄に推挙したとも、武田信玄が真田幸隆(真田幸綱)を甲斐に招いたとも伝わる。

こうして、真田幸隆(真田幸綱)は、天文11年(1541年)から天文18年(1549年)までの間に武田信玄の家臣となり、調略を使って信濃国佐久郡の豪族・望月氏を下すなどして、信濃先手衆として武田信玄の信濃侵攻で活躍することになる。

武田信玄と村上義清の戸石崩れのあらすじとネタバレ」へ続く。

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