下町ロケットの読書感想文

阿部寛が主演するTBSのドラマ「下町ロケット」の原作となる池井戸潤の小説「下町ロケット」のあらすじと結末ネタバレを含む夏休み読書感想文の読書感想文編です。

下町ロケットのあらすじとネタバレ編は「下町ロケットの原作のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

このページには池井戸潤の原作小説「下町ロケット」のあらすじとネタバレが含まれています。下町ロケットのあらすじやネタバレを知りたくない人は閲覧に語注ください。

■下町ロケットの読書感想文
TBSの日曜9時枠でドラマ「下町ロケット」が始まるということで、池井戸潤の原作小説「下町ロケット」を読んだ。

原作小説「下町ロケット」は、ロケットの打ち上げ失敗の責任を押しつけられて宇宙科学開発機構を去ったエンジンの開発者・佃航平が、父親の中小企業「佃製作所」を継ぎ、水素エンジンの研究開発を続け、最終的には佃製作所のバルブが帝国重工のロケットに作用される話である。

私は井戸潤の原作小説「下町ロケット」を読んで、「特許」「夢」「価値」など、様々な事を考えさせられた。

■下町ロケットと特許の感想
原作小説「下町ロケット」で、特許の大切さを教えてくれたのは、知的財産専門の弁護士・神谷修一だ。

原作小説「下町ロケット」では、サラッと流しているが、弁護士・神谷修一は下町ロケットの重要人物の1人だ。

佃製作所は弁護士・神谷修一のアドバイスにより、佃製作所は特許の見直しを行ってい、バルブの特許に優先権主張出願を提出した。その結果、帝国重工は3ヶ月の差で特許を取得できなかった。

弁護士・神谷修一は、ナカシマ工業との特許訴訟に勝利しただけではなく、佃製作所に特許の見直しをアドバイスし、佃製作所のバルブを帝国重工のロケットに納品させる切っ掛けを作った重要人物なのである。

さて、私は原作小説「下町ロケット」を読んで、有名な特許事件を思い出した。帝国重工は3ヶ月の差で特許を認められなかったが、実話では2時間の差で特許が認められなかったいう特許事件がある。それは電話のベル事件だ。

電話の発明者として知られる発明家アメリカのグラハム・ベルは、イライシャ・グレイの研究を元に電話を開発し、特許を取得した。

イライシャ・グレイも電話を開発して特許を申請したが、わずか2時間の差でグラハム・ベルが先に特許を申請していたため、イライシャ・グレイは電話の特許が認められなかったのである。

このころ、発明家エジソンら様々な発明家が特許を主張して、泥沼の特許訴訟に発展。グラハム・ベルは裁判に対応するため、仕事が出来なくなり、会社を去った。

最終的にグラハム・ベルの特許が認められ、特許上の電話の発明者はグラハム・ベルとなるのだが、実際に世界で最初に電話を発明したのは、イタリア人の発明家アントニオ・メウッチである。

アントニオ・メウッチも電話の特許を主張して裁判を起こしたが、アントニオ・メウッチが発明したのは機械式の電話で、グラハム・ベルが発明したのは電気式の電話だったため、アントニオ・メウッチの主張は認められずに敗訴している。

そして、もう1人、電話の発明者が居る。それはドイツの発明家フィリップ・ライスだ。

フィリップ・ライスはグラハム・ベルよりも15年も早く電話を開発し、電話を「テレフォン」と名付けたのだが、当時は見向きもされなかった。フィリップ・ライスは電話の改良を続けたが、グラハム・ベルが電話を発明する前年に死に、「テレフォン」という名前だけが残った。

だから、私は原作小説「下町ロケット」を読んで、発明をするのと同じくらい、特許は大切なのだと、改めて思った。

よく、「遠足は、家に帰るまでが遠足です」と言う。発明もそれと同じで、特許を取るまでが発明だと思った。

■下町ロケットと夢の感想
何の本だったか忘れたが、ある女性が「男は夢を食べて生きている。でも、私はご飯を食べなければ生きていけない」と言い、夢を追いかける男に別れを告げるシーンがあった。

私は原作小説「下町ロケット」を読んで、そのシーンを思い出した。

佃製作所の社長・佃航平は水素エンジンを研究開発していたが、佃製作所の中には、社長・佃航平の方針に反対している者も多い。利益に結びつかない水素エンジンの研究を止めて、利益になる研究をしろというのだ。

社長・佃航平は反対する社員に対して「俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけでも飯は食っていけないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない。お前だってウチの会社でこうしてやろうとか、そんな夢、あったはずだ。それはどこ行っちまったんだ。」と言っている。

私は社長・佃航平も、反対する社員も間違っているとは思わない。社長・佃航平が言うように、夢が無ければ、生きていても、つまらないと思う。

しかし、1階が無ければ、2階は存在しない。「貧すりゃ鈍す」という言葉があるように、夢の前に安定した生活も大事だと思う。

■下町ロケットと価値の感想
技術(特許)に対する価値を考えさせられたのは、佃製作所の経理部長・殿村直弘の言葉だ。

経理部長・殿村直弘は白水銀行から出向している元銀行員で、白水銀行は融資の時に技術を一切評価しなかったのに、元銀行員の経理部長・殿村直弘は佃製作所がバルブの特許に「100億の価値がある」と言った。

それを聞いて、私は技術(特許)について疑問に思った。技術(特許)の価値はとうやって計算するのか。かかった開発費が20億円なら、20億円に利益を乗せた値段が、本当に技術(特許)の価値なのか。

特許の評価を争った裁判と言えば、青色発光ダイオードの中村修二の裁判が有名だ。

中村修二が雇用主の日亜化学に正当な対価の支払いを求めた裁判で、1審の東京地方裁判所は、被告・日亜化学に200億円の支払いを命じた。しかし、2審の東京地裁で、中村修二は日亜化学と和解金6億円で和解した。

日本の裁判は金銭賠償主義なので、裁判では技術(特許)を金額に換算しなければならないが、裁判でなければ、必ずしも技術(特許)を金額に換算する必要は無い。

原作小説「下町ロケット」を読んでいると、技術(特許)の対価が、夢でも良いのではないかと思うようになった。お金よりも価値があるモノがあるのだと気づいた。

■下町ロケット-横柄とプライドの違い
原作小説「下町ロケット」は、横柄な態度をとる帝国重工の社員の態度と、プライドを持って対応する佃製作所の態度が印象的だった。

佃製作所の経理部長・殿村直弘が、横柄な態度をとる帝国重工の村田に「何か勘違いされてませんか?こんな評価しか出来ない相手に、我々の特許を使って頂くわけにはいきません。こんな契約など無くても、我々は一向に困りません。どうぞ、お引き取りください」と告げるシーンは圧巻だった。

帝国重工の社員の横柄な態度にはムカムカしていたのだが、プイライドを持つ経理部長・殿村直弘の言葉を聞いて溜飲が下った。

そこで、横柄な態度とプライドを持った態度の違いは何だろうかと考えた。その答えは、横柄というのは権力や地位によるもので、プライドというのは夢や信念によるものだと思った。

■下町ロケット-極悪非道のナカシマ工業の感想
原作小説「下町ロケット」に登場するナカシマ工業は、極悪非道の悪徳企業だった。

ナカシマ工業は、売れる分野と分かると進出することから「マネシマ工業」と揶揄されており、経済マフィアのような悪徳企業だ。

(注釈:ナカシマ工業のモデルについては「ナカシマ工業(マネシマ工業)の実在のモデル」をご覧ください。)

このナカシマ工業が、佃製作所の特許の穴を突いて特許を取得し、特許訴訟の専門弁護士を率いて、佃製作所を特許侵害で訴えたのである。

しかも、ナカシマ工業は特許の正当性を主張するために特許訴訟をおこしたのではなく、本当の目的は特許訴訟で佃製作所を倒産寸前に追い込み、和解案で佃製作所の株を取得して、佃製作所を手に入れることだったのである。

そして、佃製作所に特許訴訟を仕掛けたナカシマ工業の法務部マネージャー三田公康は次ぎのように言っている。

「いいかよく聞け。この世の中には二つの規律がある。それは、倫理と法律だ。俺たち人間が滅多なことで人を殺さないのは、法律で禁止されているからじゃない。そんなことをしたらいけない、という倫理に支配されているからだ。だが、会社は違う。会社に倫理など必要ない。会社は法律さえ守っていれば、どんなことをしたって罰せられることはない。相手企業の息の根を止めることも可能だ」

しかし、私は違うと思う。会社は法律さえ守っていれば良いかもしれないが、会社は自分で意思決定をしない。だから、結局、会社の規律は、会社の社長なり、そこで働く社員であり、人間の問題である。

最近、デザインをパクったり、論文をねつ造したり、ゴーストライターに作曲させたり、色々な人が世間を騒がせている。

それがデザインをパクったり、論文をねつ造したり、ゴーストライターに作曲させたりしていたのが人ではなく、企業だったとしても、結局は世間を騒がさせているはずだ。

■下町ロケットの結末
帝国重工の社長・藤間秀樹は重要デバイスの内製化を方針に掲げており、佃製作所のバルブは採用しないと思われていたが、帝国重工の社長・藤間秀樹はアッサリと佃製作所のバルブの採用を認めた。

実は宇宙航空畑を歩んできた社長・藤間秀樹は、下町ロケットの冒頭で打ち上げに失敗したロケット「セイレーン」の打ち上げに関わっていた。

社長・藤間秀樹はロケット「セイレーン」の打ち上げ失敗の経験から、宇宙事業「スターダスト計画」を開始しており、佃製作所の社長・佃航平と同じ人種の人間だったのである。

最終的に佃製作所のバルブは、帝国重工のロケット「モノトーン」に採用され、ロケット「モノトーン」の打ち上げは成功した。

■南極物語とロケット
数々の難局を乗りきって夢を達成した佃製作所の社長・佃航平を見るていると、樺太犬のタロ・ジロで有名な南極物語を思い出した。

第1次南極観測隊は、数々の難局を乗り越えて南極へ行ったというだけではなく、南極観測とロケットはちょっとしたつながりがあるのだ。

戦後の日本におけるロケット開発は、東大の教授・糸川英夫に始まる。

リンドバーグの太平洋横断に影響された少年・糸川英夫は、航空機に興味を持ち、やがて、中島飛行機で航空機の設計を担当するようになる。

中島飛行機で戦闘機「隼」の設計を手がけた糸川英夫は、それが評価されて軍に徴収され、東大で弾道ミサイルなどを研究する(糸川英夫の設計した戦闘機「隼」が、後のロケット「ハヤブサ」の由来になる)。

やがて、日本は第2次世界大戦で負け、GHQの航空禁止令によって航空機の開発を禁じられたが、1951年(昭和26年)9月のサンフランシスコ平和条約で、日本の航空禁止令が解除され、日本は航空機開発を再開することができるようになった。

東大の糸川英夫は1953年(昭和27年)12月にアメリカへ出張したさい、アメリカが有人ロケットを計画している事を知り、自分もロケットを開発するため、関係者を集め、東大にAVSA研究班を設置し、国産ロケットの研究を開始する。

ロケット開発の目的は、太平洋を横断する輸送ロケットの開発で、糸川英夫は各企業に支援を求めたが、どの企業も相手にしてくれなかった。松下電器(パナソニック)の松下幸之助も「儲からない」と言って協力しなかった。

糸川英夫に唯一、協力してくれたのが、個体燃料を研究していた富士精密だった。富士精密は元「中島飛行機」で、日産自動車を経てIHI(石川播磨重工業)の傘下に入り、現在はIHIエアロスペースという会社になっている。

こうして、糸川英夫は富士精密の支援を得て、ロケットの研究開発を開始する。

そして、糸川英夫のロケット開発を後押ししたのが、1957年7月から1958年12月にかけて行われる国際地球観測年(IGY)だった。

国際地球観測年(IGY)は、各国が地球を共同観測する「科学のオリンピック」で、日本は国際地球観測年(IGY)で東経140度地域の主責任国を務める日本は、赤道地帯に基地を作る予定だった。

しかし、赤道地帯を統治していたアメリカが日本の基地の設置を拒否し、日本に南極観測とロケット観測を勧めたため、日本は南極観測とロケットなど系9部門で国際地球観測年(IGY)に参加することになったのである。

こうして、日本のロケット観測が決まり、糸川英夫は国際地球観測年(IGY)に間に合わせるため、ロケットの開発を急いだ。

一方、日本学術学会は、第2次世界大戦の戦勝国からの反対に遭うが、ソ連などの票を取り付けて南極観測への参加が認められ、リンスハラルド海岸での観測を勝ち取った。

リンスハラルド海岸は、アメリカが接岸に失敗した過去が有り、アメリカがリンスハラルド海岸インアクセシブル(接岸不能、近寄りがたい)と評価した難所中の難所だった。

日本は戦勝国から嫌がらせでプリンスハラルド海岸という難所を押しつけられたと思う人も多いが、実はプリンスハラルド海岸を押しつけられたのでは無く、日本がプリンスハラルド海岸を観測地に選んだのである。

日本は他にも接岸の簡単な観測地の候補はあったが、プリンスハラルド海岸が南極観測に一番、適していたのだ。(注釈:この選択が、後のオゾンホールの発見につながる。)

さて、南極観測の独占取材を目論んだ朝日新聞が日本学術学会を支援して南極観測の準備を進めていたのだが、当初の予算では南極へ行くことが出来ないことが判明し、朝日新聞の計画は国家事業へと発展した。

こうして、文部省の予算のほとんどが南極観測に割り当てられたうえ、朝日新聞が大々的に南極観測のキャンペーンを展開したため、南極観測隊は世間の期待を一身に背負い、国際地球観測年(IGY)の南極観測へと参加した。

(南極物語の実話は「実話「南極物語」のあらすじとネタバレ」をご覧ください。)

一方、東大の教授・糸川英夫は、華々しい南極観測隊の陰でコツコツとロケットの実験を繰り返し、カッパロケット6型で高度60kmに達して上層の大気データ観測に成功し、国際地球観測年(IGY)への参加を果たしたのである。

■下町ロケットの感想
私は糸川英夫の本を読んだことがある。糸川英夫のロケット開発は開発段階で紆余曲折が有り、糸川英夫の発想やロケット開発に向ける情熱が面白かった。

原作小説「下町ロケット」はエンターテイメント性が強くて全体的に読みやすくて面白かった。

原作小説「下町ロケット」は既にバルブの特許を取得した状況で始まっていたので、佃製作所の社長・佃航平の物作りや開発に対する紆余曲折が描かれていなかったので残念だったが、私は原作小説「下町ロケット」を読んで、物作りに大きな興味を感じた。

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コメント欄

詳細かつ読みやすいご説明、ありがとうございます。
臨場感たっぷりで、すばらし~!!
またお邪魔いたします~。

  • 投稿者-
  • 2015