とと姉ちゃん 小橋鞠子のモデルは大橋晴子(横山晴子)
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなる大橋鎭子(大橋鎮子)の生涯を描く実話「とと姉ちゃん-大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」の番外編「小橋鞠子(相楽樹)の実在のモデル」です。
実話「とと姉ちゃん-大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」の目次は「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」をご覧ください。
■小橋鞠子(相楽樹)のモデル
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に登場する小橋鞠子(相楽樹)の実在のモデルは、大橋晴子(横山晴子)です。
ドラマ「とと姉ちゃん」に登場する小橋鞠子(相楽樹)は、小橋家の次女で、女学校時代に「平塚らいてう」に傾倒して文学を志し、後に姉・小橋常子(高畑充希)を手伝って雑誌「あなたの暮し」の創刊メインスタッフとして活躍する。
■モデルとなった大橋晴子(横山晴子)の生涯
大橋晴子(横山晴子)は父・大橋武雄の次女として北海道・小沢で生まれた。父・大橋武雄は日本製麻の茅野の工場長をしていた。
父・大橋武雄は風邪が長引き、北海道でも季候の良い、虻田に工場長として赴任したが、結核と診断され、入院するため、東京へと引っ越し、東京・鎌倉・大森などを転々とした。
大橋家は最終的に東京府下大井鹿島町に定住し、次女・大橋晴子は姉・大橋鎮子(大橋鎭子)と共に大井第一小学校へと転入する。
女学校時代は不明で、次女・大橋晴子は東京・丸の内にある保険会社に勤務していたとき、姉・大橋鎮子(大橋鎭子)が花森安治と出会い、雑誌を作る事を決めた。
花森安治は「雑誌を発行する場所が銀座が良い」と言うので、次女・大橋晴子は昼休みや帰りに銀座で借りられそうな部屋を探して周り、銀座8丁目の日吉ビル3階に借りられそうな部屋があることを見つける。
偶然にも日吉ビルの持ち主は、家の近くに住む名川代議士で、隣組的な付き合いがあったため、姉日吉ビル3階の1室を借りる事が出来た。
また、姉・大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治は事業資金の事など考えていなかったが、次女・大橋晴子が保険会社で担当していた酒造店を営む秋元から2万円(4~500万円)を借りて事業資金を作った。
こうして、次女・大橋晴子の活躍により、姉・大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治は銀座8丁目の日吉ビル3階の一室で、昭和21年(1946年)に出版社「衣装研究所」(後の「暮しの手帖社」)を設立した。
設立時のメンバーは、花森安治・大橋鎮子(大橋鎭子)・大橋晴子・大橋芳子・横山啓一の5人で、姉の大橋鎮子(大橋鎭子)が社長を務めた。
横山啓一は、花森安治と大橋鎮子(大橋鎭子)の共通の知人で、戦時中に日本宣伝協会に在籍し、戦後は花森安治と共に広告宣伝会社を設立するために動いていた。
しかし、花森安治が雑誌を出版することになり、広告宣伝会社から抜けたため、広告宣伝会社の設立は中止になったので、横山啓一も花森安治の雑誌作りを協力する事になった。
その後、次女・大橋晴子は横山啓一と職場結婚して、男児を出産する。後に、この息子が横山泰子と結婚する。
創立時から社長を務めてきた姉・大橋鎮子(大橋鎭子)は、2004年に横山泰子(妹の息子の嫁)に出版社「暮らしの手帖社」の社長を譲り、社主へと退きいた。
その後、副社長の阪東宗文が社長に昇格し、横山泰子は非常勤取締役へと退き、現在(2015年)に至る。
ドラマ「とと姉ちゃん」の登場人物のモデルまとめは「『とと姉ちゃん』の登場人物と実在のモデル」をご覧ください。
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