実話「とと姉ちゃん」 大橋鎮子が就職するあらすじとネタバレ

NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルとなる大橋鎮子(大橋鎭子)の生涯を紹介する実話「とと姉ちゃん」のあらすじとネタバレです。

さらに詳しい情報を知りたい方は「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

このページは「実話・とと姉ちゃん-あらすじとネタバレ」からの続きです。

■とと姉ちゃん-日本興業銀行に就職

第六高等女学校(東京都立三田高校)を卒業した大橋鎭子(大橋鎮子)は、昭和13年4月に日本興業銀行に就職すると、調査部に配属されました。

大橋鎮子(大橋鎭子)は日本興業銀行の調査部で「調査月報」の編集に携わり、編集の基礎を学んでいきます。

ところで、日本興業銀行・調査部の工藤課長は、昼食の後、女性職員を集めて、女性も知っておかなければならないニュースを解説してくれていました。

その影響で、女性職員は図書館に集まり、お話し会(勉強会)を開くようになります。

大橋鎮子(大橋鎭子)は裁縫学校にも通っていたので、図書館でのお話し会にはほとんど参加しませんでしたが、「もっと勉強しなければ」と思うようになっていました。

そのようななか、大橋鎮子(大橋鎭子)は、高校入試の時に落ちた日本女子大学を受験します。

そして、大橋鎮子(大橋鎭子)は日本女子大学に合格したので、3年務めた日本興業銀行を辞めて、昭和15年(1940年)に日本女子大学の家政科二類へ入学しました。

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■とと姉ちゃん-日本女子大学に入学

日本興業銀行を辞めて日本女子大学に入学した大橋鎮子(大橋鎭子)ですが、1年前に引いた風邪が抜けず、ある日、痰を吐くと、痰に血筋が混じっていました。

母・大橋久子(宮原久子)は、夫・大橋武雄を結核で亡くしていたので、大橋鎮子(大橋鎭子)の血が混じった痰を見て驚いてしまいます。

母・大橋久子(宮原久子)が余りにも大騒ぎするので、大橋鎭子は療養に専念することにし、1年で日本女子大学を退学しました。

大橋鎮子(大橋鎭子)は親身になって看病してくれる母・大橋久子(宮原久子)に感謝し、母・大橋久子(宮原久子)を幸せにしようと思います。

■とと姉ちゃん-日本読書新聞に入社

さて、大橋鎮子(大橋鎭子)の結核については詳しくわからないのですが、春までには治ったようです。

昭和16年(1941年)春、大橋鎮子(大橋鎭子)が日本読書新聞を読んでいると、日本読書新聞が女性職員を募集していました。

求人広告を見た大橋鎮子(大橋鎭子)は、直ぐに日本読書新聞へ行って面接を受けます。

大橋鎮子(大橋鎭子)は日本興業銀行の調査部で編集に携わっていたこともあり、採用されました。

ところで、日本は昭和12年(1937年)から日中戦争へ突入しており、日本政府は出版物の検閲を強化するため、昭和15年(1940年)12月に日本出版文化協会を設立しました。

日本出版文化協会は出版物を審査して、出版物の内容によって、当時は貴重だった紙の配給を決める機関です。実質的な検閲機関です。

大橋鎮子(大橋鎭子)が日本読書新聞に入社した年に、日本読書新聞は日本出版文化協会の機関誌なったため、大橋鎮子(大橋鎭子)は日本読書新聞から日本出版文化協会の秘書室へ出向しました。

このとき、日本出版文化協会の田所太郎が、日本読書新聞の編集長に就任します。

大橋鎮子(大橋鎭子)が日本読書新聞に入社した昭和16年(1941年)の12月に、日本は真珠湾攻撃を行い、第二次世界大戦へと突入します。

戦争の影響で紙は貴重になっていましたが、日本読書新聞は日本出版文化協会の機関誌だったので、第二次政界大戦中も新聞の発行を続けます。

昭和18年(1943年)3月に日本出版文化協会は首脳陣が一新され、日本出版文化協会は「日本出版会」へと改組されます。

この改組にともない、大橋鎮子(大橋鎭子)は日本読書新聞へ戻ることになりました。

日本読書新聞は引き続き、日本出版会の機関誌として新聞の発行を続けます。

しかし、終戦を目前とした時期に日本読書新聞の編集長・田所太郎や編集部員が戦争にかり出され、日本読書新聞は休刊に追い込まれてしまいました。

その後、昭和20年(1945年)8月6日には広島県に原爆(リトルボーイ)が投下され、3日後の昭和20年8月9日に長崎県に原爆(ファットマン)が投下されました。

すると、東京に敗戦の噂が流れます。

敗戦の噂を聞いた大橋鎮子(大橋鎭子)は、防空壕の中でどうやって生きていこうかと考えるようになり、お金持ちになって家族を幸せにするため、知恵を売る事を思いつきました。

知恵を売るというのは、本を出版するということです。

終戦後、徴兵されていた編集長・田所太郎や編集部員が復員し、休刊していた日本読書新聞が再開されることになり、大橋鎮子(大橋鎭子)も復刊を手伝います。

編集長・田所太郎は復刊第1号に誰もが驚くような人の原稿を載せようと思い、当時、人気中の人気作家・川端康成に原稿を書いてもらう事を決め、大橋鎮子(大橋鎭子)にその役を命じました。

大橋鎮子(大橋鎭子)は何度も川端康成の自宅に通い、川端康成に原稿を書いてもらうことに成功します。

川端康成から原稿を受け取った大橋鎮子(大橋鎭子)は、大喜びで東京へと戻ります。そして、駅から降りたとき、片方の下駄の鼻緒が切れてしまいました。

大橋鎮子(大橋鎭子)は下駄の鼻緒を直そうと思いましたが、早く原稿を届けたかったので、下駄を拾い上げると、鼻緒が切れた下駄を手に持ち、日本読書新聞へと急ぎました。

その現場に居合わせた花森安治は、大橋鎮子(大橋鎭子)に声を掛けようとしたのですが、大橋鎮子(大橋鎭子)は鼻緒の切れた下駄を手に持ち、もんぺ姿に片方は下駄で片方は裸足という出で立ちで走って行ってしまいました。

そんな大橋鎮子(大橋鎭子)を見た花森安治は、「なんたる女だ」と驚きます。

しかし、その後、花森安治は、大橋鎮子(大橋鎭子)が川端康成の原稿を持っていたこと知り、大橋鎮子(大橋鎭子)の行動に納得しました。

実話・とと姉ちゃん-大橋鎮子が花森安治と出会うあらすじとネタバレ」へ続く。

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