ヤミ米を拒否した裁判官・山口良忠の餓死事件の実話

食糧管理法違反を守って闇米を食べずに餓死した裁判官・山口良忠の実話とエピソードを紹介します。

■闇米を拒否した山口良忠判事の実話

山口良忠は佐賀県福治村の出身で、京都帝国大学を出身後、裁判官となり、終戦後は東京地裁で主にヤミ米を取り締まる食糧管理法違反を担当していた。

山口良忠は、食料統制法を悪法だと批判しながらも、ヤミ米を裁く裁判官である以上は食料統制法を守らなければならないと考え、ヤミ米を拒否して配給だけで暮し、最後は栄養失調で倒れ、故郷で療養したが、療養の甲斐も無く、栄養失調で死去した。

そして、翌日、「食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ」という山口良忠の手記が新聞で報じられ、「美談」となった。

しかし、長男の山口良臣は、新聞に掲載された山口良忠の手記に疑問を呈し、父・山口良忠はヤミ米について極端に厳格に考えていたわけではないと証言している。

そもそも、ヤミ米を拒否したのは山口良忠だけではなく、食糧管理法違反を担当した裁判官全員で、確かに、山口良忠はヤミ米を食べなかったが、故郷の佐賀県に帰ると、ヤミ米やイモを持ち帰り、友達や家族に分け与えたという。

さらに、栄養失調で倒れ、故郷で療養していたときも、山口良忠はヤミ米を食べていたと証言している。

そして、長男の山口良臣は、ヤミ米を拒否したのは事実だが、新聞が食料統制法を批判するためのプロパガンダに利用されたのだと語っている。

なお、雑誌「暮しの手帖」の社長・大橋鎭子は、この「美談」を知って驚き、卵24個を持って裁判所へ行ったというエピソードが残っている。

大橋鎭子が裁判所に卵を持参して「山口判事のような裁判官に差し上げてください」と頼み込んだが、受け取ってもらえず、終いには最高裁判所長官室に通された。

そこで、大橋鎭子が「これは買ったものではございません。ウチの鶏が産んだ物です。山口判事のような方が居らしたら、差し上げてください」と直訴した。

すると、三淵忠彦長官は何度もうなずいて卵を受け取り、栄養失調と過労で休んでいる裁判官に届けたのであった。

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■昭和天皇もヤミを禁止

山口良忠のヤミ米拒否ばかりがクローズアップされるが、実は、昭和天皇もヤミを禁じている。

このため、戦前は「宮内庁御用達」の名誉を欲しさに、すり寄ってきた商人が戦後は手のひらを返し、宮内庁から離れていった。宮内庁は公定価格でしか買ってくれないが、ヤミへ流せば10倍、20倍の価格で売れるからである。

これに困ったのが天皇の料理番・秋山徳蔵だ。昭和天皇がヤミを禁止したので、食料が手に入らない。

そこで、秋山徳蔵は、食料が山のようにある軍部に乗り込み、色々と食料をかっぱらってきて、料理を作ったのである。

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