山内ももよ(花森ももよ)の生涯
朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルとなる大橋鎭子(大橋鎮子)の生涯を描く「大橋鎭子(大橋鎮子)の生涯」の関係者紹介編「山内ももよ(花森ももよ)の生涯」です。
■山内ももよ(花森ももよ)の生涯
花森安治の妻・山内ももよ(花森ももよ)は大正2年(1913年)に、島根県松江市天神町13番地にある呉服問屋「山内呉服店」で、1男4女の末娘として生まれた。
(注釈:「山内もも代」や「山内百代」という表記もあったが、「山内ももよ」が正しいようだ。)
山内家の娘は、みんな美人で、なかでも、末娘の山内ももよ(花森ももよ)は、松江のミスコンテストで優勝した松江一の美人であった。
実家の呉服問屋「山内呉服店」は、江戸時代から続く松江の老舗で、山内ももよ(花森ももよ)は父親に溺愛され、料理もしたことがなく、箱入り娘として育った。自由奔放な性格で、お手伝いさんや祖母を困らせたという。
■花森安治と結婚
山内ももよ(花森ももよ)は、昭和8年(1933年)に旧制松江高等女学校を卒業すると、父親の反対を押し切り、東京へ出て、実践女子専門学校の家政研究科に進んだ。
そして、昭和8年(1933年)の夏、松江へ帰省するために、東京駅で切符を買っていたとき、後ろで「松江一枚」という声がしたので、振り返ってみると、鬼瓦のような顔をした変な人が立っていた。
その鬼瓦のような顔の男というのが、後に雑誌「暮らしに手帖」を創刊することになる花森安治である。
花森安治も昭和8年(1933年)に旧制松江高校(島根大学)を卒業して、東京帝国大学(東京大学)へと進学しており、花森安治も松江へ帰省するため、東京駅に切符を買いに来ていた。
(注釈:花森安治は兵庫県神戸市の出身だが、高校時代を過ごした松江へ帰省していた。)
数日後、松江の実家に戻った山内ももよ(花森ももよ)は、お茶の先生にお土産を持って行くと、お茶の先生から、東京の学生が来ているので、お茶を点てて欲しいと頼まれ、学生を紹介された。
その学生というのが、数日前、山内ももよ(花森ももよ)が東京駅で切符を買っていたとき、後ろから「松江一枚」と言って切符を購入していた花森安治だった。
花森安治は鬼瓦のような顔をしていたが、山内ももよ(花森ももよ)は何か感じるところがあり、花森安治と交際を開始する。
しかし、山内家が松江の老舗呉服店なのに対し、花森安治の実家は没落していたので、山内ももよ(花森ももよ)の両親が結婚に反対する。
昭和8年(1933年)の暮れ、花森安治は、旧制松江高校の恩師・加藤恂二郎教授(加藤与次兵衛)の自宅を訪れ、「山内という呉服屋の娘さんと恋愛してるんですが、相手の親が結婚に反対しているんです」と相談した。
すると、加藤恂二郎教授(加藤与次兵衛)が山内ももよ(花森ももよ)の実家「山内呉服店」へ乗り込み、両親を説得してくれたので、ようやく結婚が許された。
こうして、花森安治と妻・山内ももよ(花森ももよ)は、昭和10年(1935年)10月18日に東京・赤坂にある日枝神社で結婚式を挙げ、東京・牛込箪笥町の借家で新婚生活を始める。
ただし、この時は結婚式を挙げただけで、入籍はしてない。入籍したのは2年後の昭和11年(1936年)12月26日である。
山内ももよ(花森ももよ)が結婚して直後、山内ももよ(花森ももよ)を溺愛していた父が死去し、長男・山内以九士(山内育二)が実家を継いだため、実家の松江からの仕送りはほとんど無かった。
なお、長男・山内以九士(山内育二)は、できたばかりのプロ野球リーグで日本野球規則の編纂に加わり、「防御率」「自責点」を考案。戦後、プロ野球の公式記録員として活躍し、「記録の神様」と呼ばれた人物である。
さて、花森安治は山内ももよ(花森ももよ)と結婚したとき、東京帝国大学の学生で、東京帝国大学新聞に入社して編集員として働いていたが、わずかな給料だったので非常に貧しい新婚生活を送った。
山内ももよ(花森ももよ)は料理もしたこの無い箱入り娘として育ったので、結婚当初は夫・花森安治が料理をしていたという。
その後、山内ももよ(花森ももよ)は昭和11年(1936年)に妊娠。昭和11年(1936年)12月26日に婚姻届けを提出して入籍し、入籍から4ヶ月後の昭和12年4月に長女・花森藍生(土井藍生)を出産した。
夫・花森安治は、妻・山内ももよ(花森ももよ)の妊娠・出産に前後して、化粧品メーカー「伊東胡蝶園」の宣伝部に就職し、画家・佐野繁次郎の元で働くようになる。
■戦後
戦後、夫・花森安治は大橋鎭子(大橋鎮子)と出会い、出版社を設立し、雑誌「暮らしの手帖」を創刊する。
夫・花森安治は「松江一の美人」として妻・山内ももよ(花森ももよ)の事を自慢にしていたが、妻・山内ももよ(花森ももよ)は夫・花森安治の職場とは距離を置いていたようだ。
妻・山内ももよ(花森ももよ)は、ほとんど出版社に顔を出さなかったので、ほとんどエピソードが残っていない。
なお、朝ドラ「とと姉ちゃん」の実話については「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」をご覧ください。
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