ドラマ「仰げば尊うし」の原作「ブラバンキッズ」のネタバレ感想文
ドラマ「仰げば尊し」の原作となる「ブラバンキッズ・ラプソディー」「ブラバンキッズ・オデッセイ」の夏休み読書感想文です。
ドラマ「仰げば尊し」の原作「ブラバンキッズ」のあらすじとネタバレは「仰げば尊し-原作「ブラバンキッズ」のあらすじとネタバレ」をご覧ください。
■ブラバンキッズの感想
ドラマ「仰げば尊し」の原作となる「ブラバンキッズ・ラプソディー」「ブラバンキッズ・オデッセイ」の2冊を読んだ。
ブラバンキッズは、元プロの音楽家・中澤忠雄が、弱小無名の野庭高校・吹奏楽部を指導して全国大会へ導く実話である。
中澤忠雄はプロの音楽家だが、プロの指導者・教育者ではないので、迷いながら、葛藤しながら野庭高校・吹奏楽部を指導していく物語である。
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■音楽は心
小無名の野庭高校・吹奏楽部を指導する中澤忠雄は、「音楽は心」とうい信念をもって吹奏楽部を指導した。
「音楽は心」というのは、音楽で大切なのは心であり、楽器を演奏する技術は心を伝える手段である。そして、心を正確に伝えるためには、技術が高い方が良いので、心を正確に伝えるために、楽器の練習をするという理屈である。
「音楽は心」という考え方は素晴らしい考え方だと思った。
たとえば、私はブログでドラマや原作の感想文を書いている。しかし、自分の考えを文章にすることは難しいもので、自分の考を読者に正しく伝えられない事が多い。
その原因は私の文章力が未熟だからだ。だから、自分の考えを正しく文章に表すためには、文章を書く技術を磨かなければならない。
つまり、中澤忠雄の「音楽は心」理論は、全てのことに共通する本質であり、吹奏楽に限らず、ドラマでも小説でも料理でもスポーツでも同じで、大事な考え方だと思う。
■中澤忠雄と花森安治
中澤忠雄は「音楽バカ」だった。部活動嘱託員の報酬はわずかに1万円で、普通の部活動嘱託員は週に1~2回程度、部活動をしどうするのだが、中澤忠雄は損得勘定を抜きにして、頻繁に野庭高校へ通い、吹奏楽部を指導した。
そのせいで、音楽教室の収入が減り、妻の中澤信子は苦労するのだが、こうした中澤忠雄の音楽バカ的な魅力が周囲や生徒を引きつけたのだと思う。
私は原作「ブラバンキッズ」を読んで、雑誌「暮しの手帖」の名物編集長・花森安治を思い出した。
花森安治は編集者バカで、雑誌「暮しの手帖」の「商品テスト」という企画に異常なまでな執念を燃やし、ストーブの商品テストでは家一軒を燃やす火事のテストまでやった。
しかし、そうしたおかげで、雑誌「暮しの手帖」は、最盛期に発行部数100万部を越えたらしい。
(注釈:雑誌「暮しの手帖」が発行部数100万部に迫ったのは事実だが、私が見た資料では本当に発行部数100万部を越えたかは確認出来なかった。)
そして、中澤忠雄や花森安治が大きな功績を残したのは、攻め続けたからだと思う。
中澤忠雄は、吹奏コンクールに勝つための音楽ではなく、本当の音楽を目指し、本当の音楽を追究したからこそ、野庭高校・吹奏楽部を日本一(全国1位)にする事が出来たのだと思う。
花森安治も読者や大企業に迎合することなく、消費者の立場にたって信念を貫き、異常なまでに厳しいテスト条件を課して、商品テストを続けたので、発行部数100万部の人気雑誌を作り上げる事が出来たのだと思う。
最近は、お金を儲けた者が勝ちという風潮があり、損得勘定が先に立ち、中澤忠雄や花森安治のようなに情熱をもったバカが減ってきたように思う。とても残念だ。
しかし、本当に人の心を動かすのは、お金なんかでは無く、人の心であり、ひたむきに取り組む情熱や努力なんだ。原作「ブラバンキッズ」を読んで、そう思った。
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■野庭の音楽は終わった
原作「ブラバンキッズ・オデッセイ」の最後に「最高級の音、出して。本物のニギリだよ。くるくる回るお寿司じゃないよ」という台詞がある。
中澤忠雄の教え子が、中学校で吹奏楽部を教えており、その吹奏楽部員の発言のようである。
私は、この台詞を見て悲しくなった。
確かに寿司職人は、長い修行を積んで寿司を握っているのだろう。
しかし、「くるくる回るお寿司」だって大勢の人の努力によって作れているはずだ。少しでも価格を抑えるために、様々な努力や工夫がされているはずだ。
なにより、「くるくる回るお寿司」は、手軽にお寿司を食べられるようにしたことで、大勢の家族、大勢の子供達を笑顔にしている。それは、「くるくる回るお寿司」を作る人の心ではないだろうか。
だから、私は「ニギリ」が本物の寿司で、「くるくる回るお寿司」を偽物扱いするような台詞に疑問を感じた。
これは「ニギリ」が吹奏楽やオーケストラの例えで、「くるくる回るお寿司」がポップスやロックなどの大衆音楽の例えなのだろうか。そんな気さえしてきた。
私は、中澤忠雄は「音楽は心」と言ったように、大切なのは心であり、音楽というのは心を伝える手段にしか過ぎないと思う。
そして、私は心を伝える手段に優劣は無いと思う。私は、吹奏楽やオーケストラが本物の音楽で、ポップスやロックなどの大衆音楽が偽物の音楽とは思わない。
ましてや、ニギリが本物の寿司で、「くるくる回るお寿司」が偽物の寿司とは思わない。大切なのは、ニギリや「くるくる回るお寿司」と言って手段ではなく、心なのだから。
だから、「最高級の音、出して。本物のニギリだよ。くるくる回るお寿司じゃないよ」というような人に本物の音は出せないと思う。技術的に良い音を出せたしても、人の心を振るわせるような音は出せないと思う。
カリスマ編集長の花森安治が死んだら雑誌「暮しの手帖」は終わったと言われたように、やはり、中澤忠雄が死んだら「野庭の音楽」は終わったのだと思った。
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