花森安治の娘・花森藍生(土井藍生)の生涯
実話「とと姉ちゃん」の番外編、雑誌「暮しの手帖」の名物編集長・花森安治の長女・花森藍生(土井藍生)の生涯です。
■花森藍生(土井藍生/どい・あおい)の生涯
花森藍生は昭和12年(1937年)4月に東京都で、花森安治の長女として生まれた。母は「山内ももよ(花森ももよ)」である。
花森安治は東京帝国大学の学生時代に山内ももよと学生結婚し、花森安治が東京帝国大学を卒業し、その年の昭和12年(1937年)4月に花森藍生は生まれた。
父・花森安治は東京帝国大学の在学中に化粧品メーカー「伊東胡蝶園(パビリオ)」に就職したが、昭和13年に召集されて満州へと出兵。結核によって帰国し、昭和15年に除隊して伊東胡蝶園(パビリオ)に復帰した。
父・花森安治は復帰後、神奈川県川崎市井田に家を借りて住み、花森藍生は住吉国民学校(住吉小学校)へ入学。花森藍生は戦時中に川崎大空襲を経験したが、花森家は被害が無く、自宅からぼんやりと川崎大空襲を眺めていたという。
やがて、花森藍生は、慶応大学時代にボランティアクラブ「ライチウス」に入り、そこで後に夫となる土井智生と出会った。
夫・土井智生は後に、松下政経塾の副塾頭や松下電器(パナソニック)で松下幸之助の秘書を務める人物である。
花森藍生は、慶応大学を卒業後、広告代理店の博報堂に就職し、昭和38年10月に土井智生と結婚。その後、長女・土井陽子を出産した。
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■父・花森安治との関係
大橋鎭子(大橋鎮子)と雑誌「暮しの手帖」を立ち上げた父・花森安治は、戦後、闇市で買ったミシンが動かなかったことから、「こういう物を消費者が買っては大変だ」ということで、消費者の視点に立って企業の商品をテストする「商品テスト」を開始した。
雑誌「暮しの手帖」の商品テストは、次第に影響力を持っていき、商品テストで酷評された商品は売り上げが落ちるという社会現象が起り、雑誌「暮しの手帖」は企業から泣きつかれる事もあった。
しかし、父・花森安治は、異常なまでに商品テストに力を入れており、企業との馴れ合いを嫌い、私生活においても交際を断つほどだった。
父・花森安治は広告業界に居たので、広告業界には伝があったが、企業から頼まれることを嫌い、娘・花森藍生の就職には一切口利きをしなかった。
娘・花森藍生が実力で広告業界に就職すると、父・花森安治は喜んで娘・花森藍生に広告論を話した。
娘・花森藍生は松下電器(パナソニック)で松下幸之助の秘書を務める土井智生と結婚し、娘・花森藍生と父・花森安治は商品を作る企業側と、商品を批判する側に別れたが、公私混同は一切しなかった。
■私生活の父・花森安治
父・花森安治は娘・花森藍生には厳しく躾したが、孫の土井陽子には甘く、孫・土井陽子を溺愛した。
娘・花森藍生の教育方針を無視して、孫・土井陽子には何でも買い与えた。売ってなければ、自分で作って孫・土井陽子のリクエストに応える程だった。
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