とと姉ちゃん-暮しの手帖の直線裁ちワンピース事件の実話
朝ドラ「とと姉ちゃん」で起きる「直線裁ちワンピース事件」の実話のあらすじとネタバレです。
■とと姉ちゃん-直線裁ちワンピース事件
一度はペンを置いた花山伊佐次(唐沢寿明)だったが、小橋常子(高畑充希)の親孝行に免じて、もう一度女性の言葉を信じることにし、再びペンを持つ事を決め、雑誌の編集長を引き受けた。
こうして、小橋常子(高畑充希)と花山伊佐次(唐沢寿明)は雑誌「あなた暮らし」を創刊することになり、花山伊佐次(唐沢寿明)は雑誌「あなた暮らし」の目玉企画を考えるが、良いアイデアが浮かばなかった。
花山伊佐次(唐沢寿明)は日の出洋裁学校を取材するが、洋服は型紙に合わせて生地を裁断するため、大量の端切れが出てしまい、納得いかない。
それに、ほとんどの女性は、洋裁学校に行くお金も無いし、高級な生地を買う余裕などなかった。
このようななか、花山伊佐次(唐沢寿明)は、妻・花山三枝子(奥貫薫)が自宅で長女・花山茜(渋谷南那)を散髪しているところを目撃する。
このとき、長女・花山三枝子(奥貫薫)は、髪の毛が付かないように、新聞紙の真ん中に穴を開け、頭からスッポリと被っていた。
それを見た花山伊佐次(唐沢寿明)は真っ直ぐに切った生地だけで洋服を作る「直線裁ち」という手法を思いつき、直線裁ちを雑誌「あなた暮らし」の目玉企画にすることにした。
そして、「直線裁ち」を雑誌「あなた暮らし」で紹介すると、雑誌「あなた暮らし」は売れに売れ、直線裁ちは大反響をよんだ。
花山伊佐次(唐沢寿明)は新聞社と共同で「直線裁ちワンピース講座」を開催を決定すると、前売り券は直ぐに完売した。
ところが、花山伊佐次(唐沢寿明)らが「直線裁ちワンピース講座」の会場へ行っても誰一人として客は来ていなかった。
そして、誰一人客の居ない会場に茫然とする花山伊佐次(唐沢寿明)らの前に、洋裁学校の校長があらわれるのであった。
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■直線裁ちワンピース講座事件の実話
朝ドラ「とと姉ちゃん」で起きる直線裁ちワンピース講座事件は実話がある。実際に起きた事件は、雑誌「暮しの手帖」を創刊する前の雑誌「スタイルブック」時代のエピソードだ。
元々、花森安治は東京帝国大学時代に、直線裁ちの原型を考案し、実践していた。最初は、バスタオルの真ん中に首を通す穴を開け、バスタオルを頭から被り、腰の所を紐で縛るという簡易な物だった。
そして、戦後、大橋鎭子(大橋鎮子)と雑誌を出版する事に決めた花森安治は、「直線裁ち」の衣装を紹介する雑誌「スタイルブック」を創刊した。
女性の衣装は戦時中にモンペに変えられており、着物は食料に交換していたこともあり、終戦直後から女性の間で洋裁ブームがわき起こっていた。
花森安治らはこの洋裁ブームの波に乗る形で雑誌「スタイルブック」を発売。花森安治の広告戦略もヒットし、スタイルブックの創刊号は爆発的な売れ行きをみせた。
雑誌「スタイルブック」は通信販売だったので、毎日、全国から郵便為替が山のように届き、開封するだけでも大変な仕事だったうえ、終いには郵便局から「人手が足りない」という理由で郵便為替の持ち込みを拒否される程だった。
しかし、大橋鎭子(大橋鎮子)らがスタイルブックで大儲けしているという噂が広まり、似たような雑誌が20冊も30冊も発売されるようになったため、スタイルブックは売れなくなってしまった。
そこで、花森安治は、スタイルブックで紹介した直線裁ちを紹介する「服飾デザイン講座」を開始する。
服飾デザイン講座は、花森安治が衣装について語り、中野家子がその場でササッと直線裁ちの服を縫い、大橋鎭子(大橋鎮子)と3女・大橋芳子がモデルとなって中野家子が縫った服を着るという感じであった。
直線裁ちとは、長方形に生地を裁断し、真ん中に首を通す穴を開け、腕を出す穴を残して横を縫い合わせた衣装で、頭からスッポリとかぶり、ウエストでベルトを締めるだけでワンピースが出来上がる。
当時の洋裁はフランス式が主流で、洋裁ではボディーラインにそって生地を裁断しなければならないが、和裁にはそういう技術が無いので、和裁の知識しなかい人は洋服を作れなかった。
ところが、花森安治が提唱した裁断裁ちなら、生地を真っ直ぐに切って縫い合わせだけなので、和裁の知識だけで洋服が作れるため、洋裁を知らない女性に受け、花森安治の服飾デザイン講座は人気となった。
これに危機感を覚えたのが、洋裁学校だった。
このころ、戦後の洋裁ブームにのって全国に多数の洋裁学校が乱立していたのだが、洋裁学校は直線裁ちが流行すれば、誰も洋裁学校に来なくなると危機感を抱いたのである。
あるとき、大橋鎭子(大橋鎮子)は栃木県宇都宮市で「服装デザイン講座」を開催したのだが、チケットは完売しているのに、客が誰1人来ていないということがあった。
後になって分かったのだが、栃木県宇都宮市の洋裁学校が直線裁ちが流行すると生徒が来なくなって困るため、チケットを買い占めていたのである。
これが朝ドラ「とと姉ちゃん」で描かれる「直線裁ちワンピース事件」の実話である。
■服装デザイン講座のその後
花森安治の服装デザイン講座は人気になったが、出版社を支えるほどにまでは成長しなかった。
雑誌「スタイルブック」の方が全く売れなくなっており、花森安治は雑誌「スタイルブック」を廃刊にして雑誌「暮しの手帖」を創刊する事になる。
花森安治は雑誌「暮しの手帖」でも直線裁ちを紹介したほか、このころは女性が洋服の着方を知らなかったので、ブラジャーの付け方や洋服の着方などを紹介し、洋服の啓蒙活動にも力を入れた。
「とと姉ちゃん-暮しの手帖社が倒産目前のあらすじとネタバレ」で紹介したように、雑誌「暮しの手帖」は倒産の危機を迎えたが、元皇室の東久邇成子の原稿を掲載したことを切っ掛けに売り上げは倍増し、倒産の危機を乗り越え、発行部数を伸ばしていき、洋裁業界からも無視できない存在となっていった。
洋裁業界では、立体裁断の先駆者・伊東茂平、後に「皇后陛下のデザイナー」になる田中千代、桑沢デザイン研究所の桑沢洋子、ドレスメーカー女学院の杉野芳子ら台頭していた。ここに「暮しの手帖」の花森安治が加わり、洋服業界を脅かす存在となっていた。
しかし、高度成長期を迎え、既製服が普及し始めると、自分で服を作る必要が無くなり、洋裁という需要が激減する。
女性は洋裁学校から料理学校へと移り、洋裁学校は衰退。雑誌「暮しの手帖」も直線裁ちから料理や商品テストへとシフトしていったのである。
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