陸王-村野尊彦の実在のモデルは三村仁司

池井戸潤の小説「陸王」の登場するシューフィッター村野尊彦の実在のモデルの紹介です。

■陸王-村野尊彦のあらすじとネタバレ

村野尊彦(のむらたかひこ)は神戸の中小企業のシューズメーカーに勤務していたが、20代の半ばで会社が倒産。スポーツシューズの分野でやりたい事をやろうと考え、「アトランティス」に入社した。

村野尊彦はアトランティスの「シューズマイスター」という肩書きで、企業や大学の陸上部にアトランティスのシューズを売り込むと同時に選手のサポートをしており、オリンピック選手など、数々の選手をサポートし、ランニングシューズの世界ではカリスマとされ、多くの選手から信頼を得ている。

しかし、村野尊彦はアトランティスの日本支社が採用した現場要員にしか過ぎず、会社での立場は弱く、発言力も無かった。

このようななか、上司・小原賢治が怪我をして戦線を離脱したダイワ食品・陸上部の茂木裕人とのサポート契約を一方的に解除した。

選手を第一に考えていた村野尊彦は、上司・小原賢治とはソリが合わず、この一件を機に、アトランティスを退社した。

その後、村野尊彦は、マラソン足袋「陸王」の開発をしている足袋屋「こはぜ屋」の社長・宮沢紘一に誘われ、「こはぜ屋」の開発しているソール「シルクレイ」に興味を示し、「こはぜ屋」とアドバイザー契約を結んで、チーム「陸王」に加わった。

そして、村野尊彦は、試作品を完成させると、アトランティスからサポート契約を解除された茂木裕人の元を訪れ、マラソン足袋「陸王」を渡し、「こはぜ屋」は茂木裕人のサポートを開始した。

ところが、アトランティス時代の上司・小原賢治は、茂木裕人が怪我から復帰すると、再び茂木裕人との専属契約を結ぶため、「こはぜ屋」に対して様々な妨害工作を開始する。

このため、茂木裕人は「こはぜ屋」との専属契約について悩むようになる。

村野尊彦は「こはぜ屋」の一員だったが、あくまでも、選手のことを第一に考えており、茂木裕人に「こはぜ屋」の経営規模が小さい事も考慮し、アトランティスとの再契約も視野に入れて、よく考えるようにアドバイスした。

最終的に茂木裕人は「こはぜ屋」のマラソン足袋「陸王」を選んで、ライバルの毛塚直之に勝利した。

そして、村野尊彦を慕っていた選手は、アトランティスとの契約を解除して、「こはぜ屋」と契約したのであった。

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■陸王-村野尊彦の実在のモデルは三村仁司

小説「陸王」に登場するシューフィッター村野尊彦の実在のモデルは、伝説の靴職人・三村仁司です。

三村仁司は、兵庫県加古川市の出身。中学生の時に野球部のキャプテンを務めていたが、強豪ではなかった。

三村仁司は走る事に自信があり、野球部と平行して陸上競技大会にも出場していたので、高校は陸上の強豪・飾磨工業高校へと進学し、陸上部へと入り、ここで頭角を現してキャプテンにまで出世した。

しかし、初任給が1万6000円だった時代に、ランニングシューズが800円と高額だったうえ、耐久性が悪くて10日もすれば破れてしまうという有様で、陸上にかかる費用が8000円になっていた。

三村仁司は、いつくかの大学からオファーを受けていたが、大学で本格的に陸上をやれば、もっと費用がかかると考え、大学進学を断念した。

そして、叔父の紹介で地元企業「オニツカ(アシックス)」に入社し、オニツカに勤務しながら、長距離走を続けた。

三村仁司は研究室への配属を希望したが、物作りの勉強として第2製造課へ配属され、第2製製造課でシューズの構造を覚え、5年後に研究室へ配属された。

そして、三村仁司は、研究室に3年ほど在籍した後、別注シューズの開発担当者に抜擢され、一流選手の要望を訊いて別注シューズを作るようになった。

初めは1人だったが、翌年には部下が2人増え、オリンピックの商業化とともに、チームの人数が増えていった。

やがて、三村仁司は一流選手に故障が多いことに気づき、故障を無くせば、成績はもっと伸びるのではないかと考えた。

そして、一流選手は小さいシューズを履いているという共通点があり、それが故障の原因だと判明する。

当時はアッパー(足の甲の部分)は布製だったが、布は汗や水を吸うと縮むので、選手の足を締め付ける。

そこで、三村仁司は、色々な素材を試した結果、ナイロン製のシューズが完成した。さらに、シューズの重さの大半を占めるソールの軽量化にも成功した。

こうして、三村仁司は、選手の事を第一に考え、瀬古利彦・森下広一・有森裕子・野口みずき・高橋尚子・イチローなど数々の名選手のシューズを作り、2004年には厚生労働省から「現代の名工」に選ばれた。

しかし、三村仁司は、アシックス(オニツカ)の創業者・鬼塚喜八郎が死去した平成19年(2007年)にアシックスを定年退職した。

詳細は不明だが、「価値観が会社と違った。それなら1人でやるわ」「今までの取引先は前の会社のブロックがかかったが、他にも協力してくれるメーカーは多い。負けないものを作る自信はある」ということで、アシックスには残らず、独立する事を選び、平成21年(2009年)に兵庫県高砂市米田町で「M.Lab(ミムラボ)」を設立した。

平成22年(2010年)1月からアディダスジャパンと専属アドバイザリー契約を結び、多くの選手をサポートしてきたが、一部報道によると、2017年にアディダスジャパンとの契約を解除するという。

なお、小説「陸王」の登場人物の実在のモデルについては「陸王の登場人物の実在のモデル一覧のネタバレ」をご覧ください。

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