陸王-アトランティスのモデルはアシックス

池井戸潤の小説「陸王」に登場する企業「アトランティス」の実在のモデルは「アシックス」です。

■陸王-アトランティスのあらすじとネタバレ

アトランティスは、アメリカに本社を置くスポーツ用品メーカーで、50年前は中小企業に過ぎなかったが、宣伝の為に有力選手にシューズを供給して知名度を上げ、世界でも有数のシューズメーカーとなった。

しかし、アトランティスは、企業が大きくなり過ぎたため、シューズの開発は業績を上げるためになっており、シューズも工業製品になった。

そして、アトランティスは、技術的には何の進歩もしていないのに、業績を上げるためだけにニューモデルを販売し、目先の利益だけを追求した。

さらに、アトランティスは利益第一主義であり、料来有望な選手とサポート契約を結び、シューズを供給するが、活躍しないと思えば、アッサリと見捨て、怪我をして戦線を退いた茂木裕人との一方的にサポート契約を打ち切った。

そして、会社の利益のよりも、選手のことを第一に考えるシューフィッター村野尊彦をクビにした。

ところが、茂木裕人が怪我から復帰すると、アトランティスの小原賢治が手のひらを返し、茂木裕人との再契約を部下に厳命する。

さらに、クビにした村野尊彦が「こはぜ屋」に入り、茂木裕人のサポートを開始すると、アトランティスの小原賢治は、「こはぜ屋」の素材供給元と独占契約を結び、「こはぜ屋」の邪魔をした。

しかし、選手からの全幅の信頼を得ていたカリスマシューフィッターの村野尊彦が「こはぜ屋」に移籍したことから、アトランティスと契約していた選手らは、アトランティスとの契約を解除し、「こはぜ屋」のサポートを受けたのであった。

スポンサードリンク

■陸王-アトランティスの実在のモデルはアシックス

アシックスの創業者・鬼塚喜八郎は、万引きなどの非行に走る少年を見て心を痛め、兵庫県教育委員会の保健体育課長・堀公平に相談したところ、堀公平から更生の方法にスポーツがある事を教えられた。

これが切っ掛けで、鬼塚喜八郎が戦後の昭和23年に「鬼塚商会」として創業し、昭和24年に「鬼塚(オニツカ)」を設立した。

初めはバスケットシューズ「オニツカタイガー」を製造した。当初は、無名だったので、全く売れなかったが、「オニツカタイガー」を履いた神戸高校の活躍により、売上げを伸ばしていった。

その後、鬼塚喜八郎は、マラソン選手は足にマメが出来てシューズを長く履くことができず、ゴールすると直ぐにシューズを脱ぎ捨てる事に着目し、大阪大学医学部の水野洋太郎教授に相談したところ、足にマメが出来る原因は「熱」だと教えてもらう。

そこで、鬼塚喜八郎は、「熱」問題を改善するため、シューズ内の空気を入れ換える構造を考案して、ランニングシューズ界でも一気に躍進した。

さらに、鬼塚喜八郎は、トップ選手に使用してもらう事で、宣言効果が生まれ、一定のシェアが取れると考え、別注シューズ部門を設立した。

鬼塚喜八郎は、これを「頂上作戦」と呼んで、トップ選手の要望を聞いて、トップ選手に別注のシューズの提供を開始する。

そして、アシックスは東京オリンピックを契機に世界進出するため、昭和35年(1960年)のローマ・オリンピックで優勝した裸足のランナー・アベベにアシックスのシューズを売り込み、昭和36年(1961年)の毎日マラソンで、裸足のアベベにアシックスのランニングシューズを履かせることに成功した。

(注釈:アベベはローマ・オリンピックのとき、現地で靴を買おうとしていたが、良い靴が無かったため、裸足で走り、「裸足のアベベ」として有名になっただけで、シューズ否定派ではない。)

こうして、裸足のアベベはアシックスのシューズを履いて走るようになったのだが、当時は選手と独占契約するという概念が無く、アシックスはアベベと契約を結んではないなかったため、アベベは昭和39年(1964年)の東京オリンピックで「プーマ」のランニングシューズを履いて走り、オリンピック2連続優勝を果たした。

ところで、この頃、日本のランニングシューズは、マラソン足袋「金栗足袋」や日本初のマラソンシューズ「カナグリシューズ(ハリマヤシューズ)」を手がける足袋屋「播磨屋(ハリマヤ)」が有力だった。

しかし、アシックスは「頂上作戦」によって、数々の一流ランナーにシューズを提供して知名度とシェアを上げていき、ライバルの「播磨屋(ハリマヤ)」を凌駕していった。

さて、アシックスの「頂上作戦」の中心となるのが、別注シューズ部門を担当するカスタムグループのカリスマシューフィッター三村仁司だ。

この三村仁司が、陸王に登場するシューフィッター村野尊彦のモデルである。

三村仁司は平成19年(2007年)にアシックスを定年退職したとき、アシックスに残るという選択肢もあったのだが、「価値観が会社と違った。それなら1人でやるわ」と言う理由で、アシックスには残らず、平成21年(2009年)に「M.Lab(ミムラボ)」を設立して独立して、平成22年(2010年)1月からアディダス・ジャパンと専属アドバイザリー契約した。

一方、アシックスの方は、カリスマの三村仁司が抜けても特に業績に影響は無く、国内の売上げは横ばいである。

しかし、アシックスは、国内よりも海外の方が人気が高く、売上げの7割から8割を海外に依存しており、海外の売上げが伸びていることから、全体的には売上げが順調に伸びている。

なお、小説「陸王」の登場人物の実在のモデルについては「陸王の登場人物の実在のモデル一覧のネタバレ」をご覧ください。

スポンサードリンク

コメントを投稿する

コメントは正常に投稿されていますが、反映に時間がかかります。