僕たちがやりました-輪島宗十郎のあらすじとネタバレ
原作漫画「僕たちがやりました」に登場する輪島宗十郎のあらすじとネタバレです。
■輪島宗十郎のあらすじとネタバレ
輪島宗十郎は風俗界のドンで、小坂秀郎(パイセン)の父親であり、匿名で小坂秀郎(パイセン)に莫大な生活費を支給していた。
さらに、輪島宗十郎は、ホームレスの真良中幹男を買収して矢波高校爆破事件の真犯人に仕立て上げ、逮捕されていた小坂秀郎(パイセン)を釈放させた。
しかし、輪島宗十郎は矢波高校爆破事件の事も知らず、全ての処理は輪島宗十郎の側近が独断で行っていた。
しかも、小坂秀郎(パイセン)は、輪島宗十郎と13番目の愛人の間に生まれた子で、生まれた小坂秀郎(パイセン)が余りにも不細工だったため、輪島宗十郎は13番目の愛人は疎遠になった。
「秀郎」という名前も「顔がひでえ野郎」ということから命名したのだが、13番目の愛人が小坂秀郎(パイセン)の事を大事にしていたので、金だけは送ってやっていたのだ。
父親から全く愛されていないことを知った小坂秀郎(パイセン)は、インターネットや野外音楽イベントを利用して、矢波高校爆破事件の犯人は自分たちだと告白し、「世間に自首」した。
すると、輪島宗十郎は、小坂秀郎(パイセン)を殺そうとしたうえ、資産の7割を使って、インターネット上に拡散した動画などを全て削除して事件を隠蔽し、小坂秀郎(パイセン)との関係も抹消した。
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■輪島宗十郎は風俗界のドン
輪島宗十郎は、風俗界のドンで、色々と夜のお店を経営しているようだが、具体的にどの程度の規模で、どれほどの財力があるのはか不明である。
そこで、ドン繋がりということで、参考までにファッション業界のドンと言われるドン小西の資産を紹介しておく。
ドン小西は、ロンドン留学から帰国後、人気店で働いたが、売れる服ばかりを作っている人気店をダサいと思い、29歳の時にオリジナルブランド「ficce(フィッチ)」を立ち上げた。
ところが、ドン小西は、経営のノウハウを持っていなかったので、当初から大赤字となり、生地も買えなくなってしまった。
そこで、ドン小西は生地屋から捨てる生地や毛糸をもらい、余り糸でセーターを作ると、これがファッション誌の目に止り、注目を集めるようになった。
さらに、ビートたけしが着た事が切っ掛けで爆発的な人気ブランドとなり、ドン小西はバブル期に年商60億円、全国約50店舗、従業員約200人、そして資産60億円という巨万の富を気付いた。
しかし、バブルが崩壊し、ユニクロなどのシンプルファッションが到来してた。
それでも、ドン小西はド派手な服を作り続けたため、ドンドン経営が悪化し、ドンドン借金が膨らみ、借金15億円まで転落し、家族も社員も失った。
そして、ドン小西はドン底生活を過ごしていたとき、フジテレビのワイドショーからファッションチェックの依頼が来て、「ドン小西」という名前で辛口のファッションチェックを行うようになり、再び日の目を見たのである。
ドン小西がファッション界で資産60億円を築いたので、風俗界のドンである輪島宗十郎の資産は10倍の600億円、いや100倍の7000億円はあると思われる。
それだけの資金があれば、優秀なハッカーを雇い、専用のコンピューターウイを作れば、インターネット上に拡散した動画も可能だと思う。
なお、「僕たちがやりました」のネタバレは「僕たちがやりました-原作のあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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