いだてん-美川秀信(勝地涼)のモデルの実話

NHKの大河ドラマ「いだてん(韋駄天)」に登場する美川秀信(勝地涼)の実在のモデルをネタバレします。

■美川秀信のモデル

実在の美川秀信は、熊本県の玉名中学校の学生で、同級生の金栗四三とともに、東京高等師範学校(筑波大学)に進学する。同郷ということもあって、2人は何でも話し合える親友だった。

1年生の夏休みに帰郷する時は、金栗四三と一緒に帰り、その途中で富士山に立ち寄って、2人で富士山に挑んだが、何の装備も準備もしていなかったため、7合目で頂上を断念して富士山を下りた。

しかし、金栗四三は富士山の登頂を諦めて居らず、翌年も富士山にチャレンジすることになる。

さて、東京高等師範学校(筑波大学)は教師になるための学校なのだが、「俺は教員が大嫌いなんだ」などと言い、美川秀信は普段から勉強もせず、成績が悪かった。

結局、予科(1年生)を終えて本科(2年生)へ進むころには、美川秀信の姿は学校から消えていた。

(美川秀信に関する資料はあるようなのですが、私の小遣いでは入手が難しいので、各自でお調べください。)

金栗四三は、無事に2年へ進級できたが、何でも話し合える親友を失い、なとか忠告して奮起させておけば良かったと残念がった。

さて、美川秀信が居なくなったので、金栗四三は2年生の夏休みに1人で熊本に帰る。

その途中で、金栗四三は再び富士山に挑戦。前年の失敗があったため、今度は準備をしていたうえ、2年生から徒歩部(陸上部)に入ってトレーニングをしていたので、今度は富士山の登頂に成功する。

このとき、金栗四三は、富士山に登るときの苦しさが、マラソンの苦しさに似ていることに気づき、富士山登頂がマラソンのトレーニングになると考え、後に富士山で合宿を行い、日本初の「高地トレーニング」に発展する。

そして、金栗四三が富士山の登頂に成功した年の11月に、日本初のオリンピック予選が開催され、金栗四三は長距離の日本代表に選ばれて、明治45年のストックホルム・オリンピックに出場するのだった。

なお、NHK大河ドラマ「いだてん(韋駄天)」のモデルや実話は「いだてん-モデルや実話」をご覧ください。

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