なつぞら-奥原咲太郎(岡田将生)のモデルとネタバレ
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する兄・奥原咲太郎(岡田将生)のモデルとネタバレです。
■なつぞら-奥原咲太郎(岡田将生)のネタバレ
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する奥原咲太郎(岡田将生)は、奥原家の長男である。
父が戦死し、東京大空襲で母親と家を失い、戦争孤児になってしまうが、妹の奥原なつ(広瀬すず)と奥原千遥を協力して、戦後の焼け野原となった東京でたくましく生きていた。
そのようななか、父の戦友・柴田剛男(藤木直人)が、戦死した父親の手紙を届けに来た。
そこで、奥原咲太郎(岡田将生)は、妹の奥原なつ(広瀬すず)を柴田剛男(藤木直人)に預けた、兄弟は離ればなれになり、その後は音信不通となり、行方不明となった。
約10年後、失踪していた奥原咲太郎(岡田将生)は、兄を探しに来た東京へ出てきた奥原なつ(広瀬すず)に見つかってしまう。
奥原咲太郎(岡田将生)が失踪していた理由は、借金が返済できず、奥原なつ(広瀬すず)と連絡を取ると、奥原なつ(広瀬すず)に迷惑をかけると思ったからだった。
奥原咲太郎(岡田将生)は、潰れてしまった劇場「ムーランルージュ」を再建するためにお金を借りたのだが、騙されてお金を持ち逃げされてしまったのだ。
その後、奥原咲太郎(岡田将生)は、劇団「赤い星座」で裏方をやりながら、借金を返済すると、声優の事務所を開き、映画のアテレコなどを行った。
そのようななか、岸川亜矢美(山口智子)のおでん屋「風車」が地域の開発により、立ち退くことになってしまう。
苦悩した奥原咲太郎(岡田将生)は、どうすれば、岸川亜矢美(山口智子)が自分を頼ってくるのかと悩んだ末、結婚すれば、岸川亜矢美(山口智子)が自分を頼ってくると考え、「川村屋」のマダム前島光子(比嘉愛未)と結婚した。
しかし、岸川亜矢美(山口智子)は奥原咲太郎(岡田将生)に無いも言わずに立ち去ってしまうのだった。
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■なつぞら-奥原咲太郎(岡田将生)のモデル
奥原咲太郎(岡田将生)のモデルは、3人います。
1人目、タップダンスの部分のモデルは、中川三郎らしい。これは日刊ゲンダイに「日本のモダンダンス、タップダンスの草分けといわれる中川三郎らしい」と書いてあった。
2人目、「ムーラン・ルージュ新宿座」の再建に奔走していた部分のモデルは、「ムーラン・ルージュ新宿座」の文芸部に居た脚本家・中江良夫です。
中江良夫は、空襲で焼失した「ムーラン・ルージュ新宿座」を再建しようと思い、「ムーラン・ルージュ新宿座」の焼け跡に建っていた浪曲の小屋「笑楽座」の小屋主・鈴勝と話し合い、「笑楽座」を「赤い風車・新宿座」と改称した。
(注釈:ムーラン・ルージュを日本語に訳すと「赤い風車」という意味になる。)
しかし、収容人数を増やして儲けようと考える小屋主・鈴勝の思惑もあり、「赤い風車・新宿座」は小屋を改装するため、まもなく解散した。
その後、中江良夫は再開にあたり、戦前の「ムーラン・ルージュ新宿座」の創立者・佐々木千里を担ぎ出し、佐々木千里を主宰者として、「劇団・小議会」という名前で再出発した。
しかし、「劇団・小議会」も何の成果も残せないまま、直ぐに解散してしまう。
そのようななか、在日台湾人(華僑)の林以文が、「ムーラン・ルージュ」の復活に乗り出し、「新宿座」を買い上げ、韓国人から「ムーラン・ルージュ新宿座」の商標を買い取ることになり、中江良夫は文芸部を任された。
こうして、昭和22年(1947年)4月8日に戦後の「ムーラン・ルージュ新宿座」がオープンしたが、結局、他の娯楽に押されて昭和25年に閉鎖してしまう。
さて、3人目、奥原咲太郎(岡田将生)が声優会社を設立する部分は、「青二プロダクション」の創業者・久保進がモデルです。
久保進は東映動画と仕事をしており、「TAP(東京アーティストプロダクション)」を設立。その後、声優の会社「青二プロダクション」を設立した。
なお、朝ドラ「なつぞら」の各モデルについては「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
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