なつぞら-柴田泰樹(草刈正雄)のモデルは太田茂市
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する柴田泰樹(草刈正雄)のモデルのネタバレです。
■柴田泰樹(草刈正雄)のネタバレ
柴田泰樹(草刈正雄)は明治35年、18歳の時に富山から1人で北海道に来て、十勝に入所して開拓民となったが、土質が悪く、開拓は困難だった。
そこで、柴田泰樹(草刈正雄)は、既に土着していた開拓民たちを訪ね歩き、開拓民らの「晩成社」が作っていたバターを食べ、何が何でも生きようと決意し、バターを作る夢を抱いて開拓に励んだ。
やがて、柴田泰樹(草刈正雄)は農家の娘を好きになり、農家に通い詰めて畑を手伝い、ようやく、結婚の許しを得て、結婚し、ささやかな家庭を築き、長女・柴田富士子(松嶋菜々子)を設けた。
しかし、柴田泰樹(草刈正雄)の妻が倒れたとき、不作に見舞われており、治療費が払えないため、医者に往診に来てもらえず、妻を死なせてしまったのだった。
戦後、婿養子の柴田剛男(藤木直人)が奥原なつ(広瀬すず)を連れ帰ってくるが、子供は労働力にならないと言い、受け入れを拒否した。
しかし、奥原なつ(広瀬すず)の頑張りを認め、奥原なつ(広瀬すず)を家族の一員として受け入れるようになった。
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■柴田泰樹(草刈正雄)のモデルは太田茂市
柴田泰樹(草刈正雄)のモデルは、「よつば乳業」の創業者・太田寛一の父・太田茂市です。
太田茂市は岐阜県の出身で、明治38年の秋に従兄弟らと共に北海道帯広市川西町へ入所し、生活の目処が立ったところで帰郷して結婚し、両親を北海道に招いた。
太田茂市は大工の頭領をしており、働いている職人に頼まれると、どこからかお金を借りてきて職人に貸したのだが、期限が来ても借金を取り立てるような事が出来ず、貸し倒れになり、巨額の借金を背負っていた。
さらに、他人の保証人になって借金を抱え込み、金利で借金が雪だるま式に膨れていき、非常に貧しい暮らしをしていた。
このため、太田茂市は、借金の事で母親から責められ、母親が死ぬと妻・太田ハルから「かまどの火が消えてしまう」と責められ、もう金は貸さないと約束したのだが、人から頼まれると、結局、金を貸していた。
その後、妻・太田ハルは貧乏が祟ったのか、次男の太田寛一が小学6年生の時に倒れてしまう。医者に診せると、過労という診断だった。
栄養が必要だということで、太田寛一はどこからか白米を調達してきて、妻・太田ハルにお粥を食べさせたのだが、妻・太田ハルは次第に衰弱していった。
発熱が続いたので、医者に往診を頼んだが、太田茂市は治療費や薬代を払っておらず、医者に借金をしていたので、医者は往診に来てくれなかった。
妻・太田ハルは体調不良のまま半年ほど持ちこたえたのだが、結局、死んでしまった。
次男・太田寛一は家庭の事情から中学進学を断念し、小学校を卒業すると、実家の農業に従事したが、農業では借金が返済できないため、産業組合(後の農協)で働き始め、給料の全額を借金返済に充てていた。
そのようななか、太田茂市は、次男・太田寛一が代わりに借金を返済していたことを知り、山林を売って全額借金を返済したのだった。
なお、柴田泰樹(草刈正雄)と農協の対立は実話となったモデルがあるので、「なつぞら-柴田泰樹(草刈正雄)と農協の対立の実話のネタバレ」もお読みください。
また、朝ドラ「なつぞら」のあらすじとネタバレは「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
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