なつぞら-露木重彦(木下ほうか)のモデルは藪下泰司
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する露木重彦(木下ほうか)のモデルをネタバレします。
■露木重彦(木下ほうか)のネタバレ
NHKの朝ドラ「なつぞら」に出演する露木重彦(木下ほうか)は、東洋映画のベテラン映画監督で、日本初の長編アニメーション「白蛇姫」の監督に起用された。
露木重彦(木下ほうか)は、実写映画しか経験がないため、アニメーションの世界に戸惑うが、アニメーターと共に切磋琢磨して、「白蛇姫」をヒットさせる。
さらに、長編アニメ「わんぱく牛若丸」の監督を担当するのだった。
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■露木重彦(木下ほうか)のモデルは藪下泰司
露木重彦(木下ほうか)のモデルとなった藪下泰司(本名は藪下泰次/やぶした・たいじ)は、明治36年(1903年)2月に大阪府で生まれた。
藪下泰司は、東京美術学校の写真科を卒業して松竹の撮影所現像部に入り、昭和2年に文部省社会教育局の嘱託となり、社会教育映画の演出や撮影を手がけた。
昭和21年(1946年)に復員して昭和22年に日本動画に入社。昭和31年に「日本動画」が東映に買収されて「東映動画」となり、藪下泰司は東映動画の取締役兼制作部長として、昭和33年公開の日本初の長編カラーアニメーション「白蛇伝」で演出を務めた。
このとき、大半が新人で、原画を担当したのは森康二と大工原章の2人だけだったので、中村和子・大塚康生などが「セカンド」に抜擢され、森康二と大工原章をサポートした。
宮崎駿は「白蛇伝」に登場する白娘(パイニャン)に魅了されてアニメ界入りを決めたほどで、「白蛇伝」は数多くのアニメーターに影響を与えた。
しかし、藪下泰司が手がけた昭和36年の「安寿と厨子王丸」は、東映から押しつけられた企画ということもあり、身内からは不評だった。奥山玲子はストーリーを痛烈に批判し、森康二は絵を痛烈に非難している。
さて、朝ドラ「なつぞら」に登場する映画「わんぱく牛若丸」のモデルは、長編アニメ「わんぱく王子の大蛇退治」と思われるが、藪下泰司は「わんぱく王子の大蛇退治」には関わっていない。
「わんぱく王子の大蛇退治」は、作風を統一するために日本初の「作画監督」という役職が設けられた作品で、新人の芹川有吾が監督を務め、森康二が作画監督を務めた作品である。
「わんぱく王子の大蛇退治」の後、長編アニメの制作は2班に分かれ、藪下泰司は「わんわん忠臣蔵」「ガリバーの宇宙旅行」「ひょっこりひょうたん島」などを手がけた。
藪下泰司は、手塚治虫など数々のアニメーターを育成し、日本アートフィルムの代表や日本動画の代表取締役を歴任した。
晩年は東京デザイナー学院や東京写真専門学校の講師を務め、後進の育成に励み、昭和61年(1986年)7月15日に死去した。83歳だった。映画監督の高橋玄は、藪下泰司の孫である。
なお、朝ドラ「なつぞら」の各モデルについては「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
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