なつぞら-元警察官・下山克己(川島明)のモデルは大塚康生
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する下山克己(川島明)のモデルのネタバレです。
■なつぞら-下山克己(川島明)のあらすじ
下山克己(川島明)は、東洋動画の動画担当のアニメーターで、奥原なつ(広瀬すず)の先輩となる人物である。
下山克己(川島明)は、元警察官だったことから、拳銃を撃つマネをするのが特徴で、戦うシーンや立ち回りのシーンを得意とする。
下山克己(川島明)は奥原なつ(広瀬すず)の絵を見て「自分の絵よりも動きがある」と評価した。
やがて、下山克己(川島明)は作画監督に抜擢されると、坂場一久(中川大志)を演出に起用し、長編アニメ「神をつかんだ少年クリフ」を制作した。
しかし、「神をつかんだ少年クリフ」は興行的に大失敗し、東洋動画で最低を記録してしまい、坂場一久(中川大志)は責任を取って退社した。
その一方で、下山克己(川島明)は同僚の三村茜(渡辺麻友)と結婚した。
その後、三村茜(渡辺麻友)は産休入りを切っ掛けに、1枚いくらの出来高制の契約に切り替えられたので、怒って東洋動画を辞めた。
下山克己(川島明)は東洋動画に残ってアニメーターを続けていたが、大沢麻子(貫地谷しほり)がアニメ制作会社「マコプロダクション」を設立すると、東洋動画を辞めて「マコプロダクション」へ移り、奥原なつ(広瀬すず)らと共にTVアニメ「大草原の少女ソラ」を制作するのだった。
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■なつぞら-下山克己(川島明)のモデルのネタバレ
NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する下山克己(川島明)のモデルは、元麻薬Gメンのアニメーター大塚康生です。
大塚康生は昭和6年(1931年)7月に島根県の生まれで、子供の頃に山口県へ引っ越し、山口県で機関車と出会い、機関車をスケッチし、戦後はジープをスケッチした。
大塚康生は旧制中学を卒業して山口県庁に就職したが、政治漫画に興味を持つようになり、政治漫画家になるために、厚生省の採用試験を受けて合格し、上京する。
大塚康生は厚生省の麻薬取締局に配属され、「麻薬Gメン」となるが、補助職員だったので、拳銃の手入れや指紋の採取などが仕事だった。
大塚康生は仕事をしながら政治漫画の道を志したが、アニメ「せむしの仔馬」「やぶにらみの暴君」を観て、アニメに興味を持つようになった。
そして、結核で倒れて死を覚悟したことが切っ掛けで、アニメーションの道に進み、「日本動画社」の研究生となった。
この「日本動画社」が「東映」に買収されて「東映動画」となり、大塚康生は「東映動画」に臨時採用され、その後、本採用となった。
そして、大塚康生は日本初の長編カラーアニメーション「白蛇伝」でセカンド(第2原画)を務め、「少年猿飛佐助」で原画に昇格し、数々のアニメを手がけていくことになる。
さて、大塚康生は宮崎駿の直属の上司で、高畑勲を労働組合に引き入れたのも大塚康生で、大塚康生自信も労働組合で書記長を務めている。
そして、大塚康生は、会社の反対を押し切って高畑勲を演出に起用し、働組合の主導手作られた映画「太陽の王子・ホルスの大冒険」で作画監督を務めた。
しかし、この「太陽の王子・ホルスの大冒険」が東映の長編史上最低を記録する大コケで、これ以降、大塚康生は手がけたアニメが全くヒットしないという「ホルスの呪い」にかかってしまう。
(補足:大塚康生の手がけたアニメは、評価は高いが、ことごとくヒットせず、「大塚康生のアニメは当たらない」と噂された。)
その後、大塚康生は東映動画を辞めてAプロダクションへ移り、パイロットフィルム「ルパン三世」の原画を担当するが、東宝が買い渋ったため、「ルパン三世」の企画は中止となった。
その後、大塚康生はTVアニメ「ムーミン」「巨人の星」「天才バカボン」などを手がけた。
さて、当時はアニメは子供のものという感覚だったので、大人向けのアニメ「ルパン三世」は企画が通らずに難航していたが、ようやく読売テレビで放送が決定し、TVアニメ「ルパン三世」(ファーストシリーズ)の制作が始まった。
この「ルパン三世」で、大塚康生が車や拳銃やミリタリーに詳しいという特技がふんだんに生かされた。
こうして、昭和46年(1971年)に「ルパン三世」が放送開始されるが、大人向けのアニメ「ルパン三世」は見向きもされず、第3話で路線変更を余儀なくされた。
このため、大塚康生は高畑勲と宮崎駿に手伝ってもらうが、結局、23話で打ち切りになった。
その後、大塚康生は色々なアニメを手がけるが、セルを省略したTVアニメに嫌気がさして現役を退こうとしたとき、宮崎駿の「未来少年コナン」に誘われた。
そこで、大塚康生は日本アニメーションへ移り、「未来少年コナン」で作画監督を務めた。
このとき、大塚康生は、ヒロインが先にハシゴを登ると、後から登る主人公にパンツが見えてしまうので、エッチだ、と言い出した、
宮崎駿は、主人公を先に登らせると、ヒロインが落ちた時に受け止められないと言い、大塚康生にヒロインを触らせなかった。
さて、大人向けTVアニメ「ルパン三世」は低視聴率で打ち切りになったが、再放送によって人気となり、映画化された。
大塚康生は映画第2弾となる映画「ルパン三世・カリオストロの城」を制作するため、テレコム・アニメーションフィルムへと移籍した。
宮崎駿は、この話を聞きつけ、「ルパン三世・カリオストロの城」の監督を引き受け、大塚康生はキャラクターデザインと作画監督を務めたが、ここでも宮崎駿は大塚康生にヒロインを触らせなかった。
その後は昭和56年(1981年)上映の映画「じゃりン子チエ」や昭和62年(1987年)上映の「ルパン三世・風魔一族の陰謀」などを手がけた。
そして、晩年は「代々木アニメーション学院」や「アニメ塾」で講師を務め、後進の育成に励んだ。
なお、朝ドラ「なつぞら」のあらすじとネタバレは「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
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