なつぞら-山田天陽(神田日勝)ロス!病気・死亡と実話のネタバレ
NHKの朝ドラ「なつぞら」の山田天陽(吉沢亮)の病気や死亡、モデルとなった神田日勝の病気や死因のネタバレです。
■山田天陽(吉沢亮)の病気・死亡のネタバレ
神田日勝は画家と農業という2足のワラジを履いていたが、どちらもお金にならないため、生活は苦しかった。
そんな神田日勝は常々、ヌードモデルを描きたいと思っていたが、ヌードモデルを雇うようなお金が無いため、相撲取りの写真やスポーツ選手の写真を参考にして絵を描いていた。
(注釈:神田日勝はベニヤ板に馬の絵を描いていた事で有名だが、販売目的の絵はキャンパスに描いていた。母親から「いやらしい絵ばっかり描いて」と愚痴られていた)
そのようななか、知人が帯広のホステスを口説き落とし、ホステスが神田日勝のヌードモデルになってくれることになった。
しかし、その日の夜は大雪が降り、神田日勝は鹿追町から出ることができず、念願のヌードモデルを描くことが出来なかった。
その後も、神田日勝は妻が居ない場所で、知人らにヌードモデルのことを相談をし、虎視眈々とヌードモデルを描くチャンスを狙っていた。
やがて、神田日勝はカレンダーの仕事を引き受け、安定収入を得ることがで出来るようになる。
その一方で、神田日勝は、自分の死期を悟ったのか、自分が子供に残せるのは絵だけだと考え、販売用に小さな絵を大量に描き始めた。
自分が死んでも、子供達が生活に困らないように、販売用の絵を残そうと考えたのである。
そのようななか、神田日勝は昭和45年(1970年)の6月頃から、ときどき、発熱や頭痛の症状が出るようになるが、病院嫌いだったため、病院には行かず、常備薬を飲んで休んでいた。
農作業の方はトラクター組合に任せることは出来るが、神田日勝は全道展帯広巡回展の会場設営チーフだったので、全道展帯広巡回展の仕事は休むことが出来ず、無理をして帯広へ行き、疲弊していく。
そのようななか、神田日勝は農作業中に夕立に遭い、風邪を引いてしまうが、無理を押して全道展帯広巡回展の準備に出かけ、様態を悪化させてしまう。
その後、全道展帯広巡回展の準備は終わったが、体調は良くならず、帯広厚生病院を受診すると、風邪と疲労と診断された。
そこで、神田日勝は2~3日、何もせずに休んでいたが、微熱が続いたので、再び病院へ行くことを決めた。
神田日勝は病院へ行く前日の昼、「もう1人生まれたら困るかな?」と、妻に尋ねた。
妻・神田ミサは、ある出来事を切っ掛けに、神田日勝の希望は何でも受け入れようと考えていたので、「3人でも4人でも困らないよ。私は丈夫だから」と答えた。
こうして、神田日勝はカーテンの無いアトリエで、妻・神田ミサを抱いたのだった。
翌日、隣町の新得町の病院を受診すると、入院することになる。その日はいったん家に帰り、翌日に神田日勝は入院した。
ある日、神田日勝は病院で絵を描くために、自宅にキャンパスや絵の具を取りに帰るが、病院へ戻ると、原因不明のまま容体が悪化していった。
このため、神田日勝は日本赤十字病院へ移されたが、日本赤十字病院でも治るとは言ってもらえなかった。
神田日勝は入院中、3人目の子供を楽しみにしていたが、妻・神田ミサは妊娠していなかった。
妻・神田ミサは、妊娠しなかった事を教えるかどうか、悩んだ末、神田日勝に3人目はダメだったと教えた。
すると、神田日勝は「そう」と言ったきり、黙ってしまった。妻・神田ミサは、もう少し時間を置けば良かったと、教えた事を後悔した。
その日の午後に神田日勝は容体が急変して死んでしまった。死因は腎盂炎による敗血症で、32歳だった。
なお、神田日勝の絵に隠された実話のネタバレは、「なつぞら-山田天陽(吉沢亮)の馬の絵に隠された実話のネタバレ」もご覧ください。
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