なつぞら-雪月の包装紙のモデルは坂本龍馬の子孫・坂本直行

吉沢亮が出演するNHKの朝ドラ「なつぞら」の「雪月」の包装紙のモデルのネタバレです。

■なつぞら-雪月の包装紙のモデル

菓子屋「雪月」の包装紙は山田天陽(吉沢亮)が描いたが、山田天陽(吉沢亮)のモデル神田日勝は菓子屋「帯広千秋庵(六花亭)」の包装紙は手がけていない。

「雪月」のモデルは菓子店「帯広千秋庵(六花亭)」で、「帯広千秋庵」の包装紙を手がけたのは、坂本龍馬の子孫・坂本直行である。

(注釈:坂本直行の父親が坂本龍馬の甥である。坂本龍馬は実子が居ないため、坂本龍馬の血は途絶えている。)

昭和34年(1959年)、菓子店「帯広千秋庵」の経営者・小田豊四郎は、福島県郡山市の「柏屋」が発刊していた児童詩誌「青い窓」を読んで感銘し、次男・小田静司の担任に、子供の詩集を作りたいと相談した。

すると、担任は子供の詩集を発行したいと思っていたが、お金が無いので断念したというので、小田豊四郎はお金を出すので、詩集を作るように勧めた。

こうして、昭和34年に子供の詩集「サイロ」を創刊することになり、小田豊四郎が農民画家・坂本直行に表紙のデザインを依頼すると、坂本直行は無償で表紙とカットを引き受けた。

この子供の詩誌「サイロ」が切っ掛けとなり、小田豊四郎は帯広千秋庵の包装紙のデザインを坂本直行に依頼し、昭和36年(1961年)秋から帯広千秋庵は坂本直行がデザインした包装紙を使い始めた。

包装紙は、雪をイメージした白地に、23種類の植物を描いたものである。クレオンで書かれた植物の名前も、坂本直行の直筆である。

その後、ホワイトチョコレートを開発した「帯広千秋庵」は、ホワイトチョコレートの類似品問題を受け、北海道全域に販路を拡大しようとしたが、商圏問題で本店の「札幌千秋庵」と対立し、暖簾の返上を迫られた。

小田豊四郎は長年使ってきた看板が変わると店が潰れるのではないかと心配したが、本物のホワイトチョコレートを客に届けるため、「帯広千秋庵」の暖簾を返上し、昭和52年(1977年)5月に「六花亭」と社名を変更した。

小田豊四郎は、看板が変わったので、客が来なくなるのではないかと恐れていたが、坂本直行がデザインした包装紙をそのまま使ったこともあり、客足は途絶えず、「六花亭」は成功するのだった。

ということで、菓子屋「雪月」の包装紙のモデルは、坂本直行が描いた「立花亭」の包装紙である。

なお、朝ドラ「なつぞら」の各モデルのネタバレは「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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