スカーレット-川原喜美子(神山清子)の離婚の実話のネタバレ
NHKの朝ドラ「スカーレット」の主人公・川原喜美子(戸田恵梨香)のモデル神山清子が離婚した実話のネタバレです。
川原喜美子(戸田恵梨香)が結婚した実話のネタバレは「スカーレット-川原喜美子(戸田恵梨香)の結婚相手と実話のネタバレ」をご覧ください。
■川原喜美子(戸田恵梨香)の離婚の実話のネタバレ
川原喜美子(戸田恵梨香)のモデルとなった神山清子は、夫の不倫に苦悩した末、離婚をするので、その実話をネタバレします。
モデルとなった神山清子は、近江化学陶器で同僚の男性と昭和31年(1956年)に結婚した。どこにでもあるような、恋愛結婚だった。
神山清子の父親が養子をほしがり、結婚に反対したため、夫は養子になってもいいと言った。
しかし、神山清子は本姓の「金場」という名字を嫌ったのか、夫の籍に入る事を望んだ。
このため、神山清子が夫の籍に入り、夫が神山清子の実家である金場家で同居して「マスオさん」となった。
神山清子は、結婚後も生活のために、2人の子供を背負って職場へ行き、懸命に働いた。
しかし、会社の主力商品である火鉢の需要が減ってくると、会社の経営が傾いてきたので、会社を辞めて独立し、陶芸の道へと進み、展覧会で賞を取り、女性陶芸家として注目を集めるようなった。
神山清子は、工房を開いて自分の電機窯を持ち、食器を作って販売した。神山清子を慕って弟子が集まった。
さて、夫は近江化学陶器に残っていたが、ヘッドハンティングされ、ライバル会社に移ったものの、人間関係が上手くいかず、会社を辞めて、神山清子と一緒に陶芸をやるようになった。
その後、夫も色々あって会社を辞めて、神山清子と一緒に陶芸をやるようになった。
このころ、神山清子は、着実に仕事を増やしており、電機窯も増やし、弟子も6人居た。
弟子達は神山清子を慕って集まったので、夫のことなど評価していなかったが、神山清子が事あるごとに夫をたてるので、次第に弟子達も夫のことを尊敬するようになっていった。
さて、夜になると夫が遊びに行くのだが、神山清子は男なので仕方が無いと思い、夫の夜遊びを黙認していたようだ。
この頃は、まだ夫も純粋で、夫婦で半地上式の穴窯「寸越窯(ずんごえがま)」を作り、夫婦で一緒に個展を開催して、「おしどり展」と呼ばれたこともあった。
しかし、夫は支援者が現れて金回りが良くなったころから、先生気取りを始め、弟子の女性と不倫をするようになった。
やがて、夫の交通事故が切っ掛けで、弟子との不倫が発覚。信楽町は小さな町だったので、噂は直ぐに広まった。
このころから、弟子の女性は、工房でも堂々と夫に甘えるようになったらしい。
神山清子は、弟子の女性に「恋愛か、陶芸の修行か」と注意すると、弟子の女性は陶芸を選んだが、それが夫の耳に入り、神山清子は叱責された。
そうした一方で、夫婦で展覧会に出品しても、入選するのは神山清子の作品だけで、神山清子の作品が入選する度に夫は不機嫌になっていき、終いに穴窯に縄を張り、「女が窯に入ると、けがれる」的なことを言い、神山清子に穴窯の使用を禁じた。
NHKが取材を申し込むが、神山清子の取材だったので、夫は「ワシより先にか」と激怒し、勝手に取材を断ったという。
しかも、鉄の棒を振り回したり、真冬に水をかけたり、ここでは書けないような仕打ちもあったようで、神山清子はみんなが寝静まってから、泣きながら土をこね、隠れて作品を作っていた。
神山清子は、弟子の女性に妻の座を奪われ、夫に陶芸も奪われ、夫の不倫に苦しみ抜き、最期は自殺を考えた。
すると、長男・神山賢一が神山清子に「父親は要らない」と言い、夫に「好きなことをしても良いので、後の始末をきちんとやってください」と決断を迫ると、夫は離婚を決意して、弟子の女性と一緒に出て行った。
離婚協議については、子供の親権の他にも、窯の権利や名義の問題もあったので、かなりの泥沼離婚だったようだ。
なお、朝ドラ「スカーレット」の実話やネタバレは「スカーレット-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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コメント欄
誤字多すぎません?
ご指摘ありがとうございます、誤字を訂正しました。
喜美と喜美子?
あんまり強く言わないで下さいね。