スカーレット-庵堂ちや子(水野美紀)のモデルは山崎豊子
NHkの朝ドラ「スカーレット」に登場する庵堂ちや子(水野美紀)のモデルのネタバレです。
■スカーレット-庵堂ちや子(水野美紀)のモデルのネタバレ
NHKの朝ドラ「スカーレット」に登場する新聞記者・庵堂ちや子(水野美紀)のモデルは「華麗なる一族」「白い巨塔」などを書いた小説家・山崎豊子です。
下着デザイナー荒木さだ(羽野晶紀)のモデルが、下着デザイナーの鴨居羊子で、鴨居羊子も新聞記者だったことから、モデルの特定に迷いました。
しかし、庵堂ちや子(水野美紀)の台詞から、モデルは山崎豊子と確定しました。
山崎豊子は大正13年(1924年)1月生まれ。実家は大阪の老舗の昆布屋「小倉屋山本」です。
山崎豊子は京都女子専門学校(京都女子大学)の国文学科へ進学して教師を目指していたのですが、戦争の影響で教師の道は閉ざされていました。
しかし、就職しないと軍需工場で働かなければならないため、昭和19年に京都女子専門学校を卒業すると、大阪の毎日新聞に就職しました。
最初は調査部に配属され、翌年の昭和20年(1945年)に学芸部へ異動しました。
山崎豊子は新聞記者としては書くのが遅い方だったので、速報性のあるニュースには向かず、学芸部の副部長・井上靖から、調査して書く企画記事を任されるようになりました。
ここで、徹底的に取材をして小説を書くという山崎豊子のスタイルが確立されていきます。
さて、上司の井上靖が毎日新聞で働きながら小説を書いており、で芥川賞を受賞したの機に昭和26年に毎日新聞を退社します。
このとき、井上靖が山崎豊子に小説を書くように勧めたので、山崎豊子は実家の「小倉屋山本」をモデルにして小説「暖簾」を書いて小説家としてデビューしました。
続いて、山崎豊子は、吉本興業の創業者・吉本セイをモデルにした小説「花のれん」を書き、直木賞に選ばれました。
「花のれん」には、吉本興業の重役がバックに付いていたので、「花のれん」は映画化や舞台化やテレビ化され、山崎豊子は一気に有名になり、毎日新聞を辞めてプロの作家になりました。
その後も大阪の船場を描いた小説で続々とヒットを出し、大阪の大学病院の闇を描いた「白い巨塔」で社会派作家と呼ばれるようになりました。
以降も「華麗なる一族」「不毛地帯」「運命の人」などの大作を世に送り出し、各テレビ局でドラマ化され、国民作家の地位を不動のものにしました。
晩年は原因不明の病気に悩まされており、何度か引退しようしたのですが、編集者の言葉で小説を書き続け、最期は「約束の海」の連載中の平成25年(2013年)9月29日に死去しました。
朝ドラ「スカーレット」に登場する庵堂ちや子(水野美紀)の台詞を注意して聞いていると、山崎豊子がモデルになっていると分かるので、庵堂ちや子(水野美紀)は最終的に小説家になるでしょう。
なお、朝ドラ「スカーレット」のモデルやネタバレは「スカーレット-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
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