スカーレット-川原武志ロスと病気と死因と実話のネタバレ
NHKの朝ドラ「スカーレット」に登場する川原武志(かわはら・たけし)の病気と死因と実話のネタバレです。
■スカーレット-川原武志ロスのネタバレ
川原喜美子(戸田恵梨香)の長男・川原武志(伊藤健太郎)は、詳しい事は分かっていないのですが、モデルの通りなら、白血病で死ぬので、先にモデルや実話のネタバレをしておきます。
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■川原武志(伊藤健太郎)のモデルと病気のネタバレ
川原武志(伊藤健太郎)のモデル・神山賢一は、陶芸家の母・神山清子の影響で、陶芸を志し、信楽工業高校(信楽高校)の窯業科へと進学して、信楽窯業試験場での修行を終えると、母・神山清子の元で信楽焼の陶芸家として活動を始めた。
母・神山清子が釉薬を使わずに色を出す「信楽自然釉」の第1人者だったので、神山賢一は母親に対抗して釉薬を研究しており、「天目茶碗」の制作に励み、信楽の陶芸家として将来を期待されていた。
しかし、平成2年(1990年)2月、神山賢一は、29歳の時に腰痛を起こして病院に運ばれ、「慢性骨髄性白血病」と診断され、骨髄移植を受けなければ死ぬと宣告された。
このとき、既に骨髄バンク運動が始まっており、公的な骨髄バンクは存在せず、平成元年2月に名古屋で民間の「東海骨髄バンク」が発足したばかりだった。
兄弟間でHLA(血液の型)が適合する確率は4分の1(25%)だが、姉・神山久美子のHLAは一致しなかった。
そこで、神山賢一の知人が「神山賢一君を救う会」を発足し、募金とドナーの募集を始めた。
さらに、活動は広まり、「神山賢一君救済連絡協議会」が発足した。
さて、神山賢一はマスコミで名前を公表したことにより、全国の白血病患者が、私たちのドナーも探して欲しいと言い、HLAの資料を送ってきた。
平成2年(1990年)は、つい最近のように思えるが、スマートフォンは無く、インターネットやパソコンすら普及していない時代だった。
windowsもインターネットも普及しておらず、全国各地の「救う会」はデータを共有していなかった。
そこで、神山賢一は他の白血病患者も救うことにして、骨髄バンク運動を開始し、神山清子と親子展を開いて、4ヶ月で3000人のドナーが集まった。
しかし、神山賢一に適合するドナーは見つからなかった。
当時、検査費用1万3500円は健康保険も適用されず、自己負担だったので、「神山賢一君を救う会」は莫大な借金を抱えて解散した。神山清子は借金を被り、作品を売りながら借金を返済した。
さて、今回の件で、全国の「救う会」が情報を共有していないことが判明したので、東京に「骨髄バンクと患者を繋ぐ会」が発足し、神山賢一は会長に就任すると、全国の白血病患者の先頭に立って骨髄バンク運動に励んだ。
その後、神山賢一は急性白血病に発展。HLAは完全に一致していなくても、白血病は治る可能性があるため、神山賢一は、HLAが完全には一致していなかった叔母(母の妹)・静子から骨髄移植を受け、回復に向かった。
さらに、平成3年12月に念願の「骨髄移植推進財団(骨髄バンク)」が設立され、全国の白血病患者にも光が見えてきた。
しかし、神山賢一は平成4年(1992年)2月に白血病が再発してしまい、様態が悪化していく。
母・神山清子は神山賢一に献体登録を勧めると、一緒に献体登録し、神山賢一が入院前に作った壺を信楽自然釉で焼いた。
神山賢一は「本当は信楽自然釉」と言い、喜んだが、目から出血しており、血の涙を流しているようだった。
そして、骨髄バンクはドナー登録を開始するが、神山賢一は平成4年(1992年)4月に母・神山清子の子守歌を聴きながら死去した。31歳だった。
それから38年後、神山清子をモデルにした朝ドラ「スカーレット」の制作が決まった。
すると、1人の女性が神山清子の工房を訪ねてきた。神山清子は客だと思っていたのだが、話を聞いてみると、神山賢一と交際していた女性だったので、何も知らなかった神山清子は朝ドラ以上のニュースだと驚いた。
この女性については詳しい事は分からないのだが、おそらく、神山賢一の婚約者だった女性だと思われる。
神山賢一は結婚を約束していた女性が居たのだが、白血病になったので、婚約を破棄して別れた。
それでも、女性は結婚したいと言ったが、当時は白血病が差別されていたこともあり、神山賢一は女性に迷惑がかからないように身を引いていたのだ。
なお、朝ドラ「スカーレット」のモデルやネタバレは「スカーレット-あらすじとモデルとネタバレ」をご覧ください。
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