「ブギウギ」のモデルー笠置シヅ子の生涯ー亀井静子が生まれる
朝ドラ「ブギウギ」のモデルとなる歌手・笠置シヅ子の生涯の第1話「亀井静子(かめい・しずこ)が生まれる」です。
笠置シヅ子の生涯ー目次
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笠置シヅ子の生涯ー亀井静子が生まれる
日本の少女歌劇は大正2年(1913年)、白木屋少女音楽隊に着想を得た阪急電車の創始者・小林一三は、閉鎖する宝塚新温泉の温泉プールの再利用として、「宝塚唱歌隊」を発足した事に始まる。
その後、「宝塚唱歌隊」は「宝塚少女歌劇養成会」に改称して、大正3年4月に初公演を行った。
この「宝塚少女歌劇養成会」が後に「宝塚少女歌劇団」となり、現在の「宝塚歌劇団」となる。
さて、「宝塚少女歌劇養成会」の初公演から4ヶ月後の大正3年(1914年)8月25日に、香川県大川郡相生村(現在の「東かがわ市」)で女児が生まれた。
この女児が後に歌手・笠置シヅ子となり、戦前は「スイングの女王」として活躍し、戦後は「ブギの女王」として活躍することになる。
笠置シヅ子の父親・三谷陳平は、相生村で代々、砂糖を作っていた豪農の長男で、母親は三谷家に住み込んでいた女性・谷口鳴尾である。
母親の谷口鳴尾は、女中などではなく、三谷家の親戚筋の由緒正しい家系だという。
しかし、谷口鳴尾は、三谷陳平の母親に結婚を認められなかったようで、笠置シヅ子を出産しても結婚する事は出来ず、実家に戻って笠置シヅ子を育てた。
このとき、相生村に亀井ウメという女性が居た。
亀井夫婦は、香川県・相生村の出身で、大阪に出て米屋を営んでいた。米屋と言っても、炭や酒なども売る「よろず屋(何でも屋)」のような店だった。
亀井ウメは、出産のために大阪から相生村に里帰りしており、亀井正雄を出産していた。
谷口鳴尾は乳の出が悪かったので、亀井ウメに沿い乳を頼んでおり、これが縁で亀井ウメが笠置シヅ子を養子として引き取った。
亀井ウメが赤ちゃん2人を抱えて大阪に戻ると、ウメの夫・亀井音吉は「双子かいな」と驚いたという。
こうして、香川県の相生村で生まれた笠置シヅ子は、両親の顔を知らないまま亀井家の養子となり、大阪での生活を始めるのだった。
なお、笠置シヅ子が生まれた時の本名は分からず、亀井家の養子になって「亀井ミツエ」→「亀井志津子」→「亀井静子」と変わっている。
第2話「ブギウギのモデルー笠置シヅ子の生涯ー風呂屋で歌う少女」へ続く。
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