朝ドラ「エール」川俣銀行のモデルとネタバレ

古関金子をモデルとするNHKの朝ドラ「エール」に登場する川俣銀行のモデルとネタバレです。

■エール-川俣銀行のモデルとネタバレ

ドラマなので名前を変えてくると思っていたのですが、川俣銀行は実名での登場となるので、モデルとなっている史実の川俣銀行について紹介します。

古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而の母方の実家は、武藤家という福島県川俣町の大富豪で、明治27年に創業した福島県川俣町の「川俣永続」を経営していました。

この「川俣永続」が大正3年に「川俣永続銀行」となり、同年に「川俣銀行」へと改称しました。

さて、古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而は、福島で有数の老舗呉服屋「喜多三(きたさん)」の長男だったので、実家の「喜多三」を継ぐために、福島商業高校へ進学したのですが、父親が他人の保証人にっていたため、実家の「喜多三」が倒産してしまいます。

音楽好きの古関裕而は、実家を継ぐ必要がなくなったので、好きな音楽に打ち込み、音楽大学(東京音楽学校)への進学を夢見ていたのですが、東京音楽学校を受験する踏ん切りが付かないまま福島商業高校を卒業し、無職になりました。

すると、川俣銀行を経営していた叔父・武藤茂平が、「人手が足りないので来て欲しい」と誘ってくれたので、古関裕而は昭和3年に川俣銀行に就職しました。

そうして、古関裕而は川俣銀行で働きながら音楽に取り組み、イギリスの作曲コンクールに応募したところ、5曲が2等に選ばれ、5年間のイギリス留学のチャンスを得ました。

そして、イギリスの作曲コンクールに入選したという新聞記事を読んで、ファンレターを送ってきた愛知県豊橋市の内山金子(古関金子)と文通を開始し、直ぐに恋愛に発展します。

古関裕而は昭和5年に川俣銀行を辞めて、イギリスへ留学の準備を進めていたのですが、自分がイギリスに行くと、大好きな内山金子との関係はどうなってしまうのだろうか?と悩みます。

相思相愛といえど、何が起こるか分からないのが男と女です。弟子に夫を寝取られた女性陶芸家も居るので、気が気ではありません。

そこで、古関裕而は愛知県豊橋市を訪れて、内山金子にプロポーズし、そのまま内山金子と新婚旅行に出て、福島県へ連れ帰り、結婚しました。

しかし、一転して、イギリス留学の話しが中止となります。

古関裕而は川俣銀行を辞めていたので、音楽家としての道を模索していたとき、山田耕搾が東京の日本コロムビアに推薦してくれたので、日本コロムビアから専属契約の話があり、古関裕而は内山金子を連れて上京し、作曲家としての道を歩み始めます。

ところで、古関裕而が辞めた川俣銀行ですが、川俣銀行は色々とあって、昭和14年に郡山商業銀行に買収されます。

そして、昭和16年1月に福島県の「郡山商業銀行」「瀬谷銀行」「会津銀行」が合併し、「東邦銀行」が誕生し、川俣銀行は東邦銀行の川俣支店となりました。

なお、朝ドラ「エール」のモデルとネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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