エール-双浦環(ふたうら・たまき)のモデルは野口英世の不倫相手

NHKの朝ドラ「エール」に登場する双浦環(柴咲コウ)のモデル三浦環に関するネタバレです。

■エール-双浦環(柴咲コウ)のモデルのネタバレ

朝ドラ「エール」に登場する双浦環(柴咲コウ)のモデルは、世界的なプリマドンナ三浦環なのですが、モデルの三浦環は数々の男性遍歴のある魔性の女だったのです。

三浦環は巨漢というイメージを持っている人が多いのですが、太ったのはアメリカでの食事のせいで、若い頃はスレンダーで美人でした。自転車に乗るだけで、見物人が出るようになり、付け文をされるようになったと言います。

数多くの男性に言い寄られていたので、女学生時代から、男性をあしらう術を身につけていたのですが、超有名人とも不倫していたという記録が残っているので、今回は三浦環の男性遍歴を紹介します。

まず、三浦環は東京音楽学校時代に滝廉太郎からピアノを学んでいるのですが、滝廉太郎と恋愛関係だったらしく、滝廉太郎からプロポーズされています。

三浦環は、1人目の夫・藤井善一と極秘結婚していたので、滝廉太郎からプロポーズされて困ったのですが、滝廉太郎がドイツ留学に出たので助かったと言っています。

その後、三浦環は、1人目の夫・藤井善一と離婚するのですが、離婚の原因は同僚のユンケル先生との不倫だったという話しも残っています。

(注釈:ユンケル先生とユンケル黄帝液は無関係です。)

そして、離婚後、2人目の夫・三浦政太郎と交際を始めます。

三浦政太郎は、東京帝国大学医学部で内科の権威・三浦謹之助の助手を務めるという有望な医者でした。

このため、三浦政太郎の同僚達が、三浦環が将来有望な三浦政太郎を誘惑したと騒ぎ、三浦環を捕まえて袋叩きにしようとしました。

結局、三浦環と三浦政太郎は、2人とも仕事を辞めてドイツ留学することに決め、三浦政太郎は留学費用を稼ぐためにシンガポールへと単身赴任します。

日本に残った三浦環は音楽活動を再開すると、新聞記者の千葉秀甫が仕事を持ってくるようになり、マネージャー的な存在となりました。この千葉秀甫も不倫相手だったという説があります。

ところが、千葉秀甫が三浦環に付きまとって結婚を迫るようになったので、三浦環は身の危険を感じて夫の居るシンガポールへと逃げました。

千葉秀甫はシンガポールまで三浦環を追いかけてきたのですが、シンガポールの総領事が「三浦環はドイツへ行った」と嘘を言い、千葉秀甫を追い払ってくれました。

その後、三浦環は夫と共にヨーロッパへ渡り、イギリスで主演したオペラ「蝶々夫人」が大ヒットし、アメリカでも成功して、世界的なプリマドンナとなりました。

その後、三浦環は、愛人フランケッティを連れて帰国し、再び愛人フランケッティと共にアメリカ巡業で出ました。

やがて、愛人フランケッティがオペラ「浪子さん」を作ると、三浦環は大人気の「蝶々夫人」を止めて、「浪子さん」を上演するようになります。

しかし、三浦環は、18歳の弟子ベアードに愛人フランケッティを寝取られてしまい、愛人フランケッティと弟子ベアードが結婚します。

朝ドラ「スカーレット」のモデル神山清子も、弟子に夫を寝取られているので、弟子による寝取られは、よくあることなのでしょう。

最愛のフランケッティを寝取られてしまった三浦環は、失意のどん底に落ち込み、帰国しようとしたのですが、夫の三浦政太郎が死んだという訃報が届き、もう帰る意味も無くなったので、そのままアメリカ巡業を続けました。

こうした騒動があったので、三浦環は新聞の投書で「国辱的エロ婆さん」と批判されました。

他にも、三浦環は「日本人じゃ早川雪洲はよかったけど、野口英世は情事の相手としてはつまらない男だった」と話しており、俳優・早川雪洲や医師・野口英世とも不倫していたことが明らかになっています。

晩年、三浦環は子供が居なかったので、親族から養子を貰おうとしたのですが、ゴシップまみれだったので養子を貰えませんでした。

そこで、三浦環はマネージャーの井上元佶を養子にして、財産を相続させているのですが、井上元佶も愛人だったと言われてします。

なお、朝ドラ「エール」のモデルや実話のネタバレは「エール-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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