エール-希穂子(きほこ/入山法子)のモデルとネタバレ
NHKの朝ドラ「エール」に登場する希穂子(きほこ)のモデルとネタバレです。
■エール-希穂子(入山法子)のネタバレ
希穂子(入山法子)は、料亭の仲居として働いていた時に、新聞記者の村野鉄男(中村蒼)と知り合い、交際を開始した。
しかし、村野鉄男に新聞社の社長の娘との縁談が持ち上がったので、希穂子は身を引いて村野鉄男の前から消えた。
そして、希穂子は上京してカフェー「パピヨン」で働いていたところ、カフェーに客として訪れた村野鉄男と再会する。
村野鉄男は希穂子の事が好きで捜しており、希穂子も村野鉄男の事が好きだったが、村野鉄男に冷たく接した。
ショックを受けた村野鉄男は、希穂子への思いを込めて歌詞「福島行進曲」を書き上げると、古山裕一(窪田正孝)が曲を付けてくれ、コロンブスレコードからデビューする事が出来た。
村野鉄男は、希穂子にデビューしたことを報告し、プロポーズするが、希穂子は「結婚が決まったの」と嘘を付き、涙を我慢して別れを告げたのだった。
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■エール-希穂子(入山法子)のモデル
希穂子(きほこ)のモデルは、福島県郡山市の芸者「きん子」です。
村野鉄男(中村蒼)のモデル野村俊夫は、福島民友新聞時代から、芸者の「きん子」をヒイキにしていました。
野村俊夫が伊藤久男らと豪遊したさい、誰もお金を持っていなかったので、帰るに帰れなくなってしまいました。
このとき、指輪や宝石を売って金を工面したのが芸者の「きん子」でした。
野村俊夫は、このエピソードを元に、戦後の昭和23年に「湯の町エレジー」を作詞しました。
つまり、朝ドラ「エール」の村野鉄男は希穂子をモデルに「福島行進曲」を作詞するのですが、史実の野村俊夫は芸者「きん子」をモデルにして「湯の町エレジー」を作詞したのです。
「湯の町エレジー」の作曲は落ち目の古賀政男で、戦後は笠置シズ子の「東京ブギウギ」などの明るい歌が流行っていたため、古賀政男は「辛気くさい古賀メロディーなんて当たらない」と諦めていました。
ところが、「湯の町エナジー」が予想外に大ヒットしたので、古賀政男が復活する切っ掛けとなりました。
ちなみに、野村俊夫の妻は野村ハツ(菅野ハツ)で、福島民友新聞時代に交際していた女性です。
野村ハツの父親に金銭的問題があったので、野村俊夫が野村ハツに資金援助をしていました。
その後、野村俊夫は古関裕而に誘われて、詩人になるため、昭和6年に上京しました。
野村俊夫は野村ハツを福島に残して上京したのですが、東京での生活が落ち着いたのか、昭和10年に野村ハツを東京に呼び寄せて結婚しています。
野村ハツを福島に残したまま、昭和6年に上京し、昭和10年に野村ハツを東京に呼び寄せて結婚しています。
なお、希穂子(入山法子)が務めていたカフェー「パピヨン」のモデルのネタバレは「朝ドラ「エール」のカフェー「パピヨン」のモデルと実話のネタバレ」をご覧ください。
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コメント欄
「どうせアクセスがない」なんておっしゃらないでください。貴重な情報、ありがたいし、楽しみにしています。
コメントありがとうございます。できる限りは紹介していくのですが、時間の関係で、全ては紹介できないので、取捨選択する必要が出てくるかも知れません。
結構アクセスしてます。そして全体を通して読むとなるほどとなります。実に面白い では
ありがとうございます。これからも、皆様に楽しんでいただけるように、朝ドラのモデルを紹介していきたいと思います。