NHKの朝ドラの放送時間が15分の理由の解説
NHKで放送している連続テレビ小説(朝ドラ)の放送時間が15分になった理由のネタバレです。
■朝ドラの放送時間が15分になった理由
民放の連続ドラマは1時間なのに、NHKの朝ドラは何故15分なのか、不思議に思った人も多いでしょう。
実は、「15分」には、NHKの朝ドラ「エール」のモデルが大きく関係するので、今回は放送時間が15分になった由来を紹介します。
終戦後、日本のラジオ局は、GHQの管理下に入りました。まだ民放は存在しないので、「ラジオ=NHK」です。「GHQ(進駐軍)=アメリカ」と考えてください。
さて、戦後の日本では戦争浮浪児が大勢居り、日本を統治するGHQは浮浪児を問題視して、アメリカから児童自立支援プログラムの指導者フラナガン牧師を招聘しました。
このフラナガン牧師が、日本の浮浪児問題に様々な提言をしました。現在、赤い羽根の共同募金が定着しています。この共同募金を提唱したのもフラナガン牧師です。
そして、フラナガン牧師の来日が切っ掛けで、朝ドラのルーツとも言えるラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が始まるのです。
戦後のラジオと監督したのが、GHQのCIE(民間教育情報部)で、CIEはフラナガン牧神の来日を切っ掛けに、戦争浮浪児を救済するためのラジオドラマを制作することにしました。
そこで、CIEが目を付けたのが、脚本家の菊田一夫です。菊田一夫は戦後、浮浪児を扱った「東京哀詩」を書いて、芝居とラジオドラマをヒットさせていたので、白羽の矢が立ったと言われています。
こうして、CIEラジオ課のハギンス少佐は、菊田一夫に浮浪児を救済するためのラジオドラマを作るように依頼しました。15分の連続ドラマを毎週、土曜日と日曜日の2日で、半年間放送する条件でした。
日本のラジオドラマは最短でも20分で、菊田一夫は日本語では15分のドラマは作れないとして、即座に断りました。
しかし、ハギンス少佐は、アメリカではCMを入れて15分の番組が定着していると言い、15分を譲りません。
最終的に、菊田一夫は敗戦国民ということで、15分という条件を受け入れ、「鐘の鳴る丘」と「風の口笛」という2つのタイトルを考えて提出すると、「鐘の鳴る丘」というタイトルが採用され、昭和22年7月5日にラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の放送を開始しました。
「鐘の鳴る丘」は、戦争浮浪児救済と子供に民主主義を教育する目的で作られた子供向け番組で、土曜日と日曜日の午後5時15分から15分間の放送でした。
「鐘の鳴る丘」は15分番組のテストケースの1つだったらしく、このころから、GHQはNHKのあらゆる番組を15分にしていき、1秒短くても、1秒オーバーしてもディレクターを斬首すると、時間厳守を厳命しました。
長い脚本が得意な菊田一夫は、ドラマを15分に納めることに苦労したのですが、なんとか無事に半年間の役目を果たし、「鐘の鳴る丘」も大成功して、ドラマも終盤に差し掛かりました。
ところが、終盤になって、ハギンス少佐が「鐘の鳴る丘」の放送を平日の5日間にして、放送期間も無期限にすると言ってきたのです。
菊田一夫は拒否したのですが、ハギンス少佐が「ポツダム宣言」を持ち出してきたので、引き受けざるを得ませんでした。
こうして、「鐘の鳴る丘」は昭和23年4月から、毎週平日の5回放送になりました。放送時間は時期によって違うのですが、夕方の5時から7時の間の15分間の放送です。これまでは生放送だったのですが、GHQから機材が提供され、録音放送となりました。
さらに「鐘の鳴る丘」は大ヒットして、舞台や映画にもなりました。
この戦後に大ヒットした15分のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が朝ドラのルーツと言われているのです。
実際、現在の朝ドラは、主婦が家事をながらでも楽しめるように、画面を見なくてもストリーが分かるようにナレーションを多めに作られています。これもラジオドラマの名残だと言われています。
朝ドラ「エール」のモデル古関裕而も「鐘の鳴る丘」で音楽を担当し、主題歌「とんがり帽子」を大ヒットさせています。
その後、菊田一夫と古関裕而は、ラジオドラマ「君の名は」を大ヒットさせるのでした。
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