朝ドラ「エール」渋谷より子のモデルは淡谷のり子

NHKの朝ドラ「エール」に登場する歌手・渋谷より子のモデルとネタバレです。

■渋谷より子のモデルとネタバレ

渋谷より子は、朝ドラ「エール」の第8週で登場する歌手です。

古山裕一(窪田正孝)がコロンブスレコードに入った時に、渋谷より子は既に人気歌手として活躍しています。

現時点では、ほとんど情報は無いのですが、渋谷より子のモデルは「ブルースの女王」と呼ばれた歌手の淡谷のり子で間違いないでしょう。

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■淡谷のり子のあらすじとネタバレ

淡谷のり子は明治40年8月生まれで、青森県青森市の出身です。

古関裕而が明治42年8月生まれなので、古関裕而の方が2歳年下になります。

淡谷のり子は、東京の東洋音楽学校を卒業後、クラシック歌手として活躍するのですが、クラシック歌手では生活できないので、流行歌を歌うようになります。

そして、淡谷のり子は昭和6年に、新人の古賀政男が作曲した「私此頃憂鬱よ」のレコードを販売し、大ヒットさせます。

このレコードのA面が、爆発的にヒットした古賀政男の「酒は涙か溜息か」(歌は藤山一郎)です。

その後、淡谷のり子は、作曲家・服部良一とのコンビで「別れのブルース」「雨のブルース」「想い出のブルース」などをヒットさせ、「ブルースの女王」と呼ばれるようになります。

(注釈:タイトルに「ブルース」と付いていますが、音楽的には黒人音楽の「ブルース」とは関係ありません。)

さて、淡谷のり子は、古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而とは関係が浅く、木枯正人(野田洋次郎)のモデル古賀政男と関係が深いので、古賀政男の結婚・離婚のエピソードをネタバレしておきます。

■古賀政男が結婚・離婚した理由のネタバレ

古賀政男は、コロムビア・レコード時代に、ムーラン・ルージュ新宿座に出演していた小林千代子の事が好きで、ムーラン・ルージュ新宿座に通っていました。

淡谷のり子は、小林千代子の東洋音楽学校時代の先輩だったので、古賀政男に頼まれ、小林千代子に古賀政男の思いを伝えに行くのですが、小林千代子に結婚を断られてしまいます。

怒った淡谷のり子は、ムーラン・ルージュ新宿座に殴り込みをかけ、最終的に古賀政男や小林千代子らが新宿中村屋に集まって和解しました。

ところが、その一方で、コロムビアの文芸部長・和田龍男が、名前を勘違いしたらしく、松竹の歌手・中村千代子に古賀政男との結婚を申し込み、OKの返事を取り付けたのです。

中村千代子は古賀政男が好きなタイプとは程遠かったのですが、古賀政男は昭和7年に中村千代子と結婚します。

2人の結婚の媒酌を務めたのが、小山田耕三(志村けん)のモデル山田耕筰です。

しかし、古賀政男は、わずか1年で中村千代子と離婚します。

古賀政男は、離婚騒動のゴタゴタからスランプに陥るのですが、コロムビアの対応にひどさに嫌気が刺し、テイチクへと移籍しました。

なお、朝ドラ「エール」のモデルや実話のネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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