おちょやん-鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇(松竹新喜劇)
NHKの朝ドラ「おちょやん」に登場する「鶴亀家庭劇」のモデルとネタバレです。
■おちょやん-鶴亀家庭劇のモデルのネタバレ
朝ドラ「おちょやん」に登場する「鶴亀家庭劇」のモデルは、天海一平(成田凌)のモデルとなる2代目・渋谷天外が旗揚げした「松竹家庭劇」です。
そこで、今回は「松竹家庭劇」を旗揚げするまでの経緯を紹介します。
渋谷天外は、学校へ進学したかったのですが、父親の「楽天会」の子役が急死したため、7歳の時に子役となり、役者への道を歩みます。
父親が死ぬと、役者を辞めて学校へ入りたいと言うのですが、支援者の芝居小屋「岡嶋」などに止められ、父親の後を継いで役者を続けることになりました。
16歳の時に「楽天会」が解散したので、渋谷天外は芝居を辞めて、知り合いの株屋に就職したものの、直ぐにクビになったので、広島へ行こうと思って曾我廼家十郎に相談したところ、脚本を書くように言われ、1週間ほどで「私は時計であります」という脚本を書きました。
すると、曾我廼家十郎が「私は時計であります」を舞台にしてくれたので、渋谷天外は面白くなって脚本を書くようになり、「志賀廼家淡海一座」に入りました。
そして、渋谷天外は九州巡業で、曾我廼家十吾と出会います。
さて、大正14年に曾我廼家十郎が死去すると、曾我廼家十郎のライバルだった曾我廼家五郎が喜劇界の頂点に君臨します。
そのようななか、昭和3年9月、21歳の渋谷天外は、曾我廼家十吾と共に「松竹家庭劇」を旗揚げします。
松竹は、曾我廼家五郎と競わせるため、渋谷天外らに「松竹家庭劇」を作らせたとも言います。
この「松竹家庭劇」が、朝ドラ「おちょやん」に登場する「鶴亀家庭劇」のモデルです。
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■「松竹家庭劇」のその後
竹井千代(杉咲花)のモデル浪花千栄子は、ときどき助っ人として「松竹家庭劇」に出演していたのですが、昭和5年に松竹の指示で「松竹家庭劇」に配属され、同年に渋谷天外と結婚します。
(2人が結婚する経緯については「おちょやん-竹井千代(杉咲花)の結婚相手のネタバレ」をご覧ください)
しかし、翌年の昭和6年、渋谷天外と曾我廼家十吾が喧嘩をしたので、「松竹家庭劇」は解散します。
その後、昭和7年5月に第2次「松竹家庭劇」として再建され、昭和11年には東京進出を果たし、東京でも活躍する様になります。
ところが、渋谷天外は再び曾我廼家十吾と対立したので、戦後の昭和21年5月に妻・浪花千栄子を連れて「松竹家庭劇」を脱退し、「すいーとほーむ」を旗揚げして旅巡業に出ました。
その後、昭和23年11月に喜劇界の帝王・曾我廼家五郎が死去したので、松竹は「曾我廼家五郎劇」と「松竹家庭劇」を合併させ、さらに、旅巡業をしていた渋谷天外や浪花千栄子を加えて、昭和23年12月に「松竹新喜劇」を発足させました。
なお、朝ドラ「おちょやん」のあらすじやネタバレは「おちょやん-あらすじとモデルとネタバレ」をご覧ください。
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