朝ドラ「エール」-清水誠二(しみず・せいじ)のモデルは加賀大介

NHKの朝ドラ「エール」に登場する清水誠二(しみず・せいじ)のモデルとネタバレです。

■エール-清水誠二のネタバレ

清水誠二は、早稲田大学の応援団長・田中隆(三浦貴大)の幼なじみで、野球チームでバッテリーを組んでおり、甲子園出場が期待されていました。

しかし、2人でキャッチボールをしていたとき、田中隆がふざけて、遠くへフライを投げました。

清水誠二はボールを取ろうとした時に足が溝にはまり、足を怪我して、手術を受けたのですが、麻酔が効かなかったので、壮絶な痛みが襲いました。

しかし、清水誠二はラジオから流れてくる早慶戦を聞いて、痛みに耐えたのですが、足は治らず、手に職を付けるため、野球も学校も辞めて働き始めました。

責任を感じた田中隆が「俺に出来ることはないか」と尋ねると、清水誠二は「早稲田を勝たせてくれ」と答えました。

このため、田中隆は早稲田大学の応援団に入って、早稲田大学の勝利に向けて奔走したのですが、早稲田大学は慶應義塾大学に負け続けていました。

そこで、田中隆は、早稲田大学に勝つためには、新しい応援歌が必要だと考え、新応援歌「紺碧の空」の作曲を古山裕一(窪田正孝)に依頼したのです。

その後、清水誠二は福岡の工場のラジオで、早稲田大学が勝利する様子を聞き、田中隆の事を思い出すのでした。

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■清水誠二のモデルは加賀大介

清水誠二のモデルは、「栄冠は君に輝く」を作詞した詩人・加賀大介です。コメント欄で教えていただきました。

加賀大介は、大正3年10月1日に石川県能美市で生まれました。

加賀大介は16歳の時に野球をしていて怪我をし、右足を切断しました。当時は麻酔が発達していなかったので、ラジオから流れてくる早慶戦を聞いて痛みに耐えました。

右足切断により、野球が出来なくなった加賀大介は、文学に打ち込み。詩人として活動していきます。

さて、戦後、学校制度の変更に伴い、夏の甲子園大会は、「全国中等学校優勝野球大会」は「全国高等学校野球選手権大会」へと変更されました。

そこで、大会を主催する朝日新聞は、昭和23年に、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の歌詞を募集しました。

加賀大介は、婚約者・加賀道子の名前を使い「栄冠は君に輝く」を応募し、5252編のなかから、「栄冠は君に輝く」が選ばれました。

婚約者の名前で応募したのは、賞金目的だと思われるのが嫌だったからだそうです。

さて、甲子園の大会歌は、山田耕搾が作曲していたのですが、今度は若手にということで、日本コロムビアの古関裕而が「栄冠は君に輝く」の作曲の依頼を受けました。

打ち合わせで大阪に行った古関裕而は、藤井寺球場の予選を観た後、無人のグランドに立ち、熱戦を想像しているうちに、自然とメロディーが沸いてきたと言います。

こうして、甲子園大会で流れる「栄冠は君に輝く」が完成したのです。

しかし、戦後の復興中ということもあって、レコードに吹き込まれたのは翌年の昭和24年でした。歌は伊藤久男が担当したのですが、レコードは売れなかったようです。

その後、「栄冠は君に輝く」が有名になっても、加賀大介は作詞者として名乗り出ず、昭和48年に死去しました。

このため、「栄冠は君に輝く」の作詞者は加賀道子のままだったのですが、加賀大介が生まれた町内から、後に「ゴジラ」と呼ばれる松井秀喜が生まれ、松井秀喜が甲子園大会で活躍しました。

これが切っ掛けで、「栄冠は君に輝く」の作詞家として加賀道子に注目が集まり、加賀道子は本当の作詞者は夫・加賀大介だと明かしました。

一方、「栄冠は君に輝く」を作曲した古関裕而は、「ゴジラ」ではなく、「モスラの歌」を作曲しています。

なお、朝ドラ「エール」のモデルやネタバレは、「エール-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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コメント欄

清水誠二さんのモデルは加賀大介さんです。「栄冠は君に輝く」作詞者として知られています。破傷風のため足を切断したこと、痛み止めにラジオで早慶戦を聞いたことの二つは、有名なエピソードです。

  • 投稿者-
  • 藤堂高空

藤堂高空さんへ
コメントありがとうございます。加賀大介さんのエピソードでしたか。スッキリしました。本文の方でも紹介させていただきます。

  • 投稿者-
  • 管理人