朝ドラ「エール」福島行進曲のモデルと実話のネタバレ
NHKの朝ドラ「エール」の「福島行進曲」のモデルと実話のネタバレを解説します。
朝ドラ「エール」のモデルやネタバレは、「エール-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
■エール-福島行進曲のネタバレ
朝ドラ「エール」では、古山裕一(窪田正孝)に招かれて上京した村野鉄男(中村蒼)がカフェーで女給をしていた元恋人・希穂子(入山法子)と再会した。
しかし、村野鉄男(中村蒼)は希穂子に振られてしまい、その思いを胸に「福島行進曲」を作詞した。
古山裕一が「福島行進曲」に曲を付けて、廿日市誉(古田新太)に提出すると、廿日市誉は即採用してレコード化を決定し、歌手・川野三津代の歌でレコードに吹き込んだ。
こうして、古山裕一と村野鉄男はレコードデビューを果たしたのだが、「福島行進曲」は全く売れなかった。
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■エール-福島行進曲のモデルと実話のネタバレ
朝ドラ「エール」の「福島行進曲」のエピソードは、実話の「福島行進曲」をベースに「湯の町エレジー」のエピソードをミックスしたものです。
実話の「福島行進曲」は、福島時代に、野村俊夫が作詞し、古関裕而が作曲しました。
詳しい時期は不明なのですが、「福島行進曲」は昭和4年の「東京行進曲」に触発されて作詞・作曲されたと言われているので、昭和4年に作詞・作曲された事になります。
昭和4年は、野村俊夫は福島民友新聞社で記者をしており、古関裕而は川俣銀行で働いていました。
そして、古関裕而は、昭和4年の秋に、橘登の主宰する福島ハーモニカ・ソサエティーの演奏会で「福島行進曲」を発表しています。
さて、古関裕而は、昭和4年の夏に「竹取物語」など5曲をイギリスの作曲コンクールへ応募して当選し、5年間のイギリス留学のチャンスを得ました。
そして、新聞報道を切っ掛けに、豊橋の古関金子と文通を開始して、昭和5年6月1日に古関金子と結婚します。
しかし、イギリス留学は中止となりました。朝ドラ「エール」では、世界恐慌の影響でイギリス留学が中止になったのですが、実話では中止になった理由は不明です。
その後、古関裕而は山田耕筰の推薦により、日本コロムビアの専属作曲家になることができ、妻の古関金子を連れて昭和5年に上京しました。
一方、野村俊夫は、古関裕而から上京を勧められており、福島民友新聞社を辞めて昭和6年に上京し、おでん屋「太平楽」を営みながら、作詞家としての道を模索します。
そのようななか、古関裕而のレコードデビューが決まります。古関裕而は、デビュー曲を故郷の福島に捧げると決めており、昭和6年7月にA面「福島行進曲」、B面「福島夜曲」を発売してレコードデビューしました。
B面「福島夜曲」は、昭和4年に福島で開催された「竹久夢二展」で、古関裕而が竹久夢二の詩画「福島夜曲」に感銘を受け、詩を書き写して帰宅し、作曲したものです。
竹久夢二の詩画「福島夜曲」は12編でしたが、古関裕而は12編の内の「吾妻山」「弁天山」「信夫山」を選んで曲にしたそうです。
しかし、「福島行進曲」のレコードは全く売れませんでした。
このため、「福島行進曲」を作詞した野村俊夫は、日本コロムビアと専属契約が出来ず、フリーの作詞家として活動することになります。
さて、朝ドラ「エール」では、村野鉄男(中村蒼)がカフェーで元恋人・希穂子(入山法子)と再会するのですが、これは野村俊夫の「湯の町エレジー」のエピソードがモデルになっています。
「湯の町エレジー」のエピソードについては、「エール-希穂子(きほこ/入山法子)のモデルとネタバレ」で解説しています。
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