エール-今村嗣人(いまむら・つぐひと)のモデルは藤田嗣治

NHKの朝ドラ「エール」に登場する今村嗣人(金子ノブアキ)のモデルとネタバレです。

朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは、「エール-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■エール-今村嗣人のあらすじとネタバレ

今村嗣人(金子ノブアキ)は15歳で「サロン・ドートンヌ展」を取得した天才画家で、世界で認められる画家になるため、フランスのパリで修行していました。

大正2年に双浦環(柴咲コウ)は、パリに留学し、今村嗣人と出会い、恋に落ちます。2人は励まし合って芸術を高めていきました。

そのようななか、今村嗣人は画廊に認められ、個展を開いたのですが、新聞で酷評されてしまいました。

そのころ、プッチーニは日本を舞台にしたオペラ「蝶々夫人」を書き上げたのですが、初演の評判が悪かったので、挽回を狙うため、主役に日本人を起用したいと思っていました。

そこで、双浦環はプッチーニの目にとまり、オーディションを受けるように誘われ、オーディションを受けると、見事に合格します。

一方、今村嗣人は行きつけのカフェのオーナーから個展を開催しないかと誘われ、カフェで個展を開くことになりました。

このため、今村嗣人は、世界の晴れ舞台に立つ双浦環に嫉妬し、双浦環と別れました。

その後、今村嗣人がカフェで個展を開くと、新聞で酷評した評論家が来て、「この絵を譲って欲しい。他の絵は駄目だが、この絵は素晴らしい」と言ったのですが、今村嗣人は「この絵は譲れません」と言って断りました。

評論家が「この絵が描けるなら、まだ将来がある」と告げると、今村嗣人は「無理です。もうこんな女性とは出会えません」と答えた。

その絵には、プリマドンナとして活躍する双浦環が書かれていたという。

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■今村嗣人のモデル

朝ドラ「エール」に登場する今村嗣人のモデルは、「嗣」の字が入っているので、日本人画家・藤田嗣治で間違いないでしょう。

藤田嗣治は、明治19年11月27日に東京都新宿区で医者の4男として生まれ、東京美術学校を卒業し、大正2年にパリへ留学しています。

確かに、藤田嗣治と双浦環(柴咲コウ)のモデル三浦環は、同じ時期にヨーロッパに留学しているのですが、2人に関係があったという話しは聞いた事が無いので、朝ドラ「エール」のエピソードは創作だと考えられます。

今村嗣人のエピソードは、三浦環のエピソードに、藤田嗣治を混ぜ込んだという感じなので、三浦環の実話も紹介しておきます。

■三浦環の実話のネタバレ

三浦環は、大正3年に2人目の夫・三浦正太郎とドイツへ留学したのですが、第1次世界大戦の影響で直ぐにイギリスへと渡りました。

そして、イギリスでヘンリー・ウッドに師事しようとしたのですが、歌を聴いたヘンリー・ウッドから「素晴らしい。私に教えることは無い」と絶賛され、いきなり、アルバート・ホールの音楽会に出演することになりました。

三浦環がアルバート・ホールでデビューすると、新聞は、イギリスの楽壇でデビューした日本人初のプリマドンナとして褒め称えました。

そのようななか、ロシア人ティナーのウラジミール・ロージンが三浦環の宿を訪れ、「蝶々夫人」の主演を依頼しました。

こうして、三浦環は大正4年5月に「蝶々夫人」で初主演を務めると、日本人プリマドンナが「蝶々夫人」を主演したということで大評判になり、アメリカでもニュースになりました。

すると、アメリカから出演のフォファーが来たので、三浦環と夫・三浦正太郎は戦禍を避けるため、大正5年の夏にアメリカへと渡り、アメリカで「蝶々夫人」を巡業しました。

なお、三浦環の生涯については「エール-双浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環」をご覧ください。

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