朝ドラ「エール」と「君の名は」のモデルと菊田一夫のネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」のモデル古関裕而と菊田一夫が手がけた「君の名は」の実話とネタバレです。

朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■エール-「君の名は」の実話のネタバレ

妻と離婚して愛人・能勢妙子と結婚した脚本家・菊田一夫は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」を書かされて疲労困憊だったので、もうラジオドラマを続ける気はありませんでした。

そこで、NHKの吉川義雄がGHQの民間教育情報部(CIE)ラジオ課と交渉するのですが、CIEのメレディスは全く取り合わず、「時間が無い。次の作品の題名は?」と問いました。

「題の名前?」と思った吉川義雄は詰まって、「お前の名はメレディスというのか」と怒り、とっさに「君の名は・・・」と、つぶやきました。

すると、メレディスは「What your name?いい題名だ」と言いOKを出しました。

そこで、吉川義雄が戻って菊田一夫に伝えると、菊田一夫は中途半端な題名だと思ったのですが、もう何でも良いと投げやりで、原稿を書き始めました。

こうして「君の名は」のタイトルが決まったとされています。

しかし、古関裕而によると、ラジオドラマのタイトルがなかなか決定せず、菊田一夫が師匠のサトウハチローに相談し、昭和27年3月中旬に「君の名は」と決まったそうです。

さて、ラジオドラマ「君の名は」は、昭和27年4月10日に放送を開始しました。

古関裕而は、「君の名は」でもハモンド・オルガンを使ったのですが、当時は電力が不規則の周波数で送られてくるため、半音下げて調律していたそうです。

放送5分前にハモンド・オルガンから音が出なくなり、慌てて絃のパートに書き直したということもありました。

主題歌「君の名は」は、作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而です。歌手は妻・古関金子の推薦で、クラシック歌手の高柳二葉を起用しました。

さて、菊田一夫は、「鐘の鳴る丘」で戦争孤児を描いたので、「君の名は」で大人の戦争体験を描くことにしました。

しかし、新潟県の佐渡、東京の数寄屋橋、三重県の鳥羽の3地点を舞台にしたことから、「ご都合主義」「観光地紹介ドラマ」などと批判が相次ぎ、人気はありませんでした。

ところが、放送開始から半年ほどして、ストーリーが後宮春樹と氏家真知子のラブストリーが描かれるようになると、「君の名は」は一転して人気が出始めました。

しかし、そのせいで、少しでも、社会の矛盾や政治を取り上げようとすると、批判の投書が届くようになり、菊田一夫は恋愛ドラマへと路線変更を余儀なくされます。

そして、「君の名は」は国民的ラジオドラマへと成長し、映画やテレビドラマにもなり、大ブームを起こして、昭和29年4月8日に放送を終了しました。

しかし、菊田一夫は、ドラマに社会性を持たせようとすると、ことごとく批判されたため、「君の名は」で、社会性を持たせない方が大衆受けするということを痛感します。

「君の名は」は世間的には大成功したのですが、菊田一夫にとっては失敗作であり、菊田一夫は、この失敗を胸にラジオドラマ「由紀子」を始めることになります。

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