朝ドラ「エール」プリンス佐藤久志とスター御手洗の実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」でプリンス佐藤久志とスター御手洗が対決する新人オーディションのモデルと実話のネタバレです。

朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■新人オーディションのネタバレ

佐藤久志(山崎育三郎)と御手洗清太郎(古川雄大)は、コロンブスレコードの新人オーディションを受け、佐藤久志が「丘を越えて」を歌い、御手洗清太郎は「船頭可愛や」を歌いました。

「プリンス佐藤久志」「スター御手洗」と名乗るだけあって、どちらも見事な歌唱力で、2人とも合格を確信していました。

ところが、オーディションに合格したのは寅田熊次郎という新人歌手でした。

寅田熊次郎は、父親が帝都ラジオの元代表取締役ということで、完全なコネ合格でした。

納得がいかない佐藤久志と御手洗清太郎は、コロンブスレコードへ抗議に行くのですが、寅田熊次郎に返り討ちにされてしまいます。

しかし、寅田熊次郎だけでは不安に思った廿日市誉(古田新太)が、佐藤久志を研修生としてコロンブスレコードに入社させました。

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■プリンス佐藤久志の実話のネタバレ

佐藤久志(山崎育三郎)のモデル伊藤久男は、福島から東京農業大学へと進学するのですが、歌手になる夢を諦めきれず、東京農業大学を退学して帝国音楽学校へ入学しました。

しかし、これが福島の実家に知られてしまい、学費を止められてしまいました。

このため、伊藤久男は古関裕而の勧めもあり、昭和7年に日本コロムビアの歌手募集に応募し、帝国音楽学校の在学中の昭和8年に日本コロムビアのマイナーレーベルのリーガル・レコードから「今宵の雨」でデビューしています。

さらに、昭和8年8月にコロムビア・レコードから「ニセコスキー小唄」でメジャーデビューしています。

昭和8年12月には、古関裕而が作曲した「をどり踊れば」を、伊藤久男が歌ってレコードを出しています。

朝ドラ「エール」は時系列を崩しているので、既に古山裕一(窪田正孝)はヒット曲を出して、契約解除の危機を脱しています。

しかし、モデルの古関裕而が最初のヒット曲「利根の舟唄」を出したのは、昭和9年8月なので、伊藤久男が日本コロムビアに入った時点では、ヒット曲が出て居らず、契約解除の危機に怯えていました。

■新人オーディションのモデル

佐藤久志(山崎育三郎)のモデル伊藤久男は、古関裕而に勧められて日本コロムビアの歌手募集に応募しました。帝国音楽学校でオーディションが行われたそうです。

今でこそ、歌手といえば憧れの職業に入るのですが、当時の流行歌は非常に地位が低かったので、どの程度の規模のオーディションだったかは不明です。

伊藤久男もオペラの先生から「学費を稼ぐために働くのは仕方がないが、専門家にはなるな。流行歌の専門家になったらお終いだ」と忠告されています。

また、伊藤久男はデビューしたものの、福島の実家から「なってしまったものは仕方がないが、福島で歌ってはならん」と言われていました。

伊藤久男自身も、レコードデビューしたものの、オペラの道を捨てておらず、流行歌を歌うのは完全にお金のためだと割り切っていました。大卒初任給が30円程度だった時代に、1曲吹き込むと15円になったので、かなり儲かったようです。

しかし、伊藤久男は、新橋の芸者衆とよく遊んだので、どれほど稼いでも、お金は残りませんでした。

伊藤久男の結婚相手などについては、「エール-佐藤久志(山崎育三郎)のモデルは伊藤久男」をご覧ください。

なお、スター御手洗のモデルは「エール-御手洗清太郎(古川雄大)のモデル」をご覧ください。

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コメント欄

新人オーディションのネタバレ、久志とミュージックティーチャーの歌った歌、逆ですね。

  • 投稿者-
  • のっち

ご指摘ありがとうございます。訂正しました。

  • 投稿者-
  • netabare1294