伊藤久男のデビュー曲は「今宵の雨」ではなく「岬の雨」だった?

朝ドラ「エール」に登場する佐藤久志(山崎育三郎)のモデル伊藤久男のデビュー曲についての報告です。

■伊藤久男のデビュー曲

伊藤久男について、帝国音楽学校を卒業後に歌手としてデビューしたと紹介していた人が居ました。

しかし、伊藤久男は実家から学費を止められ、学費を稼ぐためにレコードの吹き込みを始めているので、レコードデビューしたのは帝国音楽学校の在学中です。

そこで、デビュー曲は何だったのか確認したところ、通説とは違う資料があったので、紹介します。

伊藤久男の故郷である福島県本宮市の「伊藤久男展」のページに次のような記述があります。

『1932(昭和7)年の秋、「クラシックよりポピュラーな歌をうたったほうが良い」との古関裕而のアドバイスで、コロムビアの歌手募集に応募し合格、歌手名も最初は「宮本一夫」を使っていました。デビュー曲は、1933年(昭和8年)3月の「今宵の雨」でした。』

Wikipediaでは、『1933年(昭和8年)6月25日付で「伊藤久男」名義でリーガル(コロムビアの廉価レーベル)から「今宵の雨」でデビュー。』となっています。

つまり、一般的に伊藤久男のデビュー曲は「今宵の雨」ということになっています。

しかし、私が手持ちの資料を確認したところ、伊藤久男は昭和8年1月に「岬の雨」でデビューしたという資料がありました。

「岬の雨」が「今宵の雨」の誤植という可能性については分りません。

また、古関裕而と野村俊夫が、伊藤久男の戦後の復帰作として昭和21年に「岬の雨」という曲を作っており、復帰第1作の「岬の雨」と混同した可能性も否定できません。

しかし、通説よりも早い昭和8年1月にデビューしていたとなると、誤植や混同の可能性は低いと思います。

現時点では結論は出ないのですが、伊藤久男が昭和8年1月に「岬の雨」でデビューしていたという資料があったという事実を紹介しておきます。

なお、伊藤久男の生涯については「エール-佐藤久志(山崎育三郎)のモデルは伊藤久男」をご覧ください。

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