エールの史実-古関裕而と「栄冠は君に輝く」の実話のネタバレ
NHKの朝ドラ「エール」に登場する古山裕一(窪田正孝)が甲子園の歌「栄冠は君に輝く」を作曲した実話のネタバレします。
朝ドラ「おちょやん」のモデルや史実のネタバレは「朝ドラ「おちょやん」のあらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。
■古関裕而と「栄冠は君に輝く」の実話のネタバレ
昭和23年に学制改革があり、新制高等学校が発足したことに伴い、甲子園大会「全国中等学校優勝野球大会」は「全国高等学校野球選手権大会」へと改称した。
既に山田耕筰が作曲した甲子園の大会歌があったが、ちょうど、大会30回目と節目でもあったので、朝日新聞は新たな大会歌を作る事にした。
そこで、歌詞の募集を行い、5252通の中から、加賀大介の歌詞「栄冠は君に輝く」が最優秀に選ばれた。
この加賀大介は、既に朝ドラ「エール」に登場しているので、エールの第8週を見直して欲しい。
エールの第8週で、早稲田大学応援部の団長・田中隆(三浦貴大)が、古山裕一(窪田正孝)に早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲する。
このとき、田中隆(三浦貴大)は、団長・田中隆のせいで、子園を目指していた親友・清水誠二が怪我をしてしまい、野球を断念したエピソードを語っている。
この清水誠二のモデルが、「栄冠は君に輝く」を作詞した加賀大介なのである。
加賀大介は16歳の時に野球をしていて怪我をして右足を切断したので、野球を断念して文学に打ち込み、やがて詩人として活躍するようになった。
そして、加賀大介は、「栄冠は君に輝く」を作詞して、昭和23年に朝日新聞が募集した甲子園の歌の歌詞に応募したのだが、賞金稼ぎと思われるのが嫌だったので、妻・加賀道子の名前で応募した。
このため、ながらく、「栄冠は君に輝く」の作詞は加賀道子となっていたのだが、昭和43年にようやく、加賀大介が本当の作詞者だと明かしたのである。
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■「栄冠は君に輝く」の作曲秘話
さて、歌詞が「栄冠は君に輝く」に決まると、朝日新聞の内部で、今度は若手の作曲家に歌詞を依頼しようということになり、若手の古関裕而に依頼することにした。
そこで、朝日新聞の学芸部の野呂信次郎が、古関裕而に「栄冠は君に輝く」の作曲を依頼した。
古関裕而はインパール作戦に従軍したとき、野呂信次郎と一緒だったので、旧知の仲だった。
作曲を引き受けた古関裕而は、打ち合わせのために、大坂を訪れると、藤井寺球場で予選が行われていたので、試合を見た後、甲子園球場を訪れ、誰も居ないグランドに立つと、自然とメロディーが浮かんできた。
こうして、「栄冠は君に輝く」が完成すると、同年8月の大会で使用された。
コロムビアは売れないと判断したようで、レコードを発売しなかった。
その後、紆余曲折を経て、翌年の昭和24年に伊藤久男の歌でレコードを発売したが、結局、レコードは売れずに赤字に終わった。
■犯人を捕らえてみれば・・・
「栄冠は君に輝く」を作詞してから10年後の昭和33年、古関裕而が作曲のために大坂の新大坂ホテルに滞在してたとこのことである。
夜遅くまで仕事をしてるので、朝は寝ていたいのだが、朝になると、隣のビルのスピーカーから音楽が流れてきてうるさくて仕方ない。
しかし、伊東久男の歌声だったので、よく聞いてみると、流れてくる歌は、自分が作曲した「栄冠は君に輝く」だった。
隣のビルが朝日新聞で、屋上のスピーカーから、「栄冠は君に輝く」のレコードを流していたのだ。
そこで、古関裕而が朝日新聞に電話すると、記者が慌てて飛んできたので、いきさつを話して、「高校野球の歌なら、どうぞ毎日おかけください」ということになった。
なお、朝ドラ「エール」のモデルや実話のネタバレは「朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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