エールの史実-古関裕而の徴兵と召集令状の実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」の古山裕一(窪田正孝)に召集令状が出たので、実話をネタバレします。

朝ドラ「エール」の実話やモデルのネタバレは「朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■古山裕一(窪田正孝)の徴兵のネタバレ

古山裕一(窪田正孝)の元に召集令状が届き、古山裕一は徴兵される事になった。

しかし、まもなく、軍事歌謡を作曲してきた功績から、召集解除されて安堵するものの、みんなが国のために戦っているのに、自分だけ徴兵を免れたことに苦悩するのだった。

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■古山裕一(窪田正孝)の徴兵の実話のネタバレ

古山裕一(窪田正孝)のモデル・古関裕而は、20歳の時に徴兵検査を受けて丙種合格していたが、日本は切羽詰まった状況では無かったので、徴兵されていなかった。

古関裕而は、昭和18年に「若鷲の歌」を作るために、土浦航空隊に1日入隊したが、これは見学だけだった。

また、昭和19年にインパール作戦に従軍しているが、特別報道班として派遣されており、軍事経験は無かった。

ところが、インパール作戦に従軍した翌年の昭和20年(1945年)3月、軍隊経験の無い36歳の古関裕而に召集令状が届いた。横須賀海兵団に入団せよというのである。

古関裕而は、驚いて海軍の人事部に行くと、古関裕而はペンネームだったので、古関裕而と気付かず、本名の古関勇治で召集令状を出したのだろうが、1度、出した召集令状を撤回する事は出来ないと言われた。

しかし、古関裕而は海軍から「特幹練の歌」の作曲を依頼されており、歌詞を待っている時期だったので、海軍人事部は「歌詞が出来るまで、1週間くらい入団してきなさい。良い経験になるでしょう。まもなく召集解除します」と約束した。

古関裕而は召集解除される事を妻の古関金子に伝えて安心させたが、既に東京も空襲を受けるようになっており、昭和20年3月10日には死者10万人を超える東京大空襲があり、安心できるような状況では無かった。

そのようななか、古関裕而は昭和20年3月15日に、自分の作った曲で見送られ、横須賀海兵団の第100分隊に入隊した。第100分隊は、芸術家や学者などを集めた分隊だった。

海軍人事部は1週間ほどで召集解除すると言っていたので、そろそろかと思っていたのだが、一向に召集解除の気配は無い。

そのようななか、コロンビアレコードから慰問団が来た。

古関裕而は下っ端の二等兵だったので、お茶を持って行くと、慰問団の歌手は「先生はそんな事をしなくて良いです。私たちがやります」と言い、反対に古関裕而を座らせてお茶を注いだ。

古関裕而は困ってしまったが、先輩は「二等兵でも先生だから仕方ないな」と苦笑して許してくれた。

このとき、慰問団に同行していたディレクターに「特幹練の歌」の歌詞について尋ねると、西条八十が歌詞を完成させていないので、もう少し待って欲しいと言うことだった。

さて、古関裕而は入隊の身体検査の時にヘルニアだと申告したので、突然、手術が決まり、海軍病院に入院させられ、ヘルニアの手術を受けた。

手術は成功したが、空襲も激しくなってきたので、もうダメかも知れないと思っていると、重要要務者として召集解除され、翌日、第100分隊の人たちに軍艦マーチで見送られて除隊し、約1ヶ月の軍隊生活を終えた。

こうして、愛する妻・古関金子の元に無事に帰宅できたが、依頼されていた「特幹練の歌」は、時局重大のため、制作中止となった。

なお、朝ドラ「エール」の実話やモデルのネタバレは「朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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