エール-ベルトーマス羽生(はにゅう)のモデルはベルトラメリ能子
NHKの朝ドラ「エール」に登場する音楽の先生・ベルトーマス羽生(広岡由里子)の実在のモデルとネタバレです。
朝ドラ「おちょやん」のあらすじとネタバレは「朝ドラ「おちょやん」のあらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。
■エールのベルトーマス羽生のネタバレ
ベルトーマス羽生(広岡由里子)は、喫茶店「バンブー」の常連客で、御手洗清太郎(古川雄大)の親友である。
ちなみに、御手洗清太郎(古川雄大)は歌を諦めて占い師になっている。
それで、古山音(二階堂ふみ)は戦後、ベルトーマス羽生のレッスンを受けて声楽を再開し、帝都劇場で上演されるオペラ「ラ・ボエーム」のオーディションに挑戦する。
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■実在のモデル
ベルトーマス羽生(広岡由里子)のモデルは、古関金子の音楽の先生だったベルトラメリ能子だと考えられます。
ベルトラメリ能子は、明治36年(1903年)4月1日に茨城県多賀郡平潟町(茨城県北茨城市)で生まれた。
ベルトラメリ能子の実家は鉄家と言い、祖父の鉄伝七は県会議員や議長を務めた地元の名士で、鮑の缶詰工場を創業し、鰹節事業にも進出した。
鉄家は、当時では珍しい蒸気機関船を使って遠洋漁業を行っていたが、日露戦争の後、水産業の権利を売却して東京へと出た。
ベルトラメリ能子は東京音楽学校を経て東京女子音楽園を卒業すると、アドルフォ・サルコリに師事してベルカント唱法を学び、イタリアに留学した。
昭和2年にイタリアの文豪アントニオ・ベルトラメリと結婚したことを機に、歌手を引退したが、昭和5年に夫アントニオ・ベルトラメリが死去したため、昭和6年に帰国して歌手として活動を開始する。
昭和7年に再びヨーロッパへと渡り、ヨーロッパで歌手活動を続け、昭和10年に帰国。戦後は、ベルカント唱法の研究や後進の育成に励み、国立音楽学校の教授に就任したが、昭和48年(1973年)8月3日に死去した。70歳だった。
■古関金子との関係
古山音(二階堂ふみ)のモデル古関金子は、戦前からベルトラメリ能子に師事し、ドラマチックソプラノを認められ、「私の後継者」とまで絶賛されていた。
戦後、ベルトラメリ能子が鎌倉に引きこもってしまったので、古関金子はノタル・ジャコモに師事したが、昭和21年に長男・古関正裕が生まれたこともあり、次第に音楽から遠ざかっていった。
古関金子の評価は高く、古関裕而は周りの人から、常々、古関金子の為にオペラを書くべきだと言われており、オペラ3編「朱金昭」「トウランドット」「チガニの星」を作曲し、古関金子の出演で、昭和24年から昭和25年にかけてNHKラジオで放送された。
古関金子はプロのオーケストラを驚かせる程の声量だったが、このオペラ3編を最後に音楽から引退した。後に古関金子は、長男・古関正裕に「私は貴方が生まれたから音楽を辞めたのよ」と告げた。
なお、朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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