朝ドラ「エール」の史実-古関裕而と菊田一夫の不倫の実話の解説
NHKの朝ドラ「エール」のモデルとなる古関裕而と菊田一夫の不倫の実話のネタバレで解説します。
■古関裕而と菊田一夫の不倫のネタバレ
古関裕而は昭和12年にNHKのラジオドラマ「当世五人男」で音楽を担当することになり、「当世五人男」で脚本を担当していた菊田一夫と出会った。
古関裕而も菊田一夫も、吃音(どもり)で下戸(お酒が飲めない)という共通点があり、意気投合し、「当世五人男」の後も菊田一夫が古関裕而を指名して、一緒に仕事をするようになり、「君の名は」「鐘の鳴る丘」など、数々の名作を作る事になる。
さて、古関裕而も菊田一夫も、吃音で下戸という共通点があり、似たもの同士だったのだが、女性関係は全くちがった。
古関裕而は古関金子と結婚するのだが、各種資料を見ると、童貞だったようで、生涯にわたり、古関金子を愛し、晩年になっても、古関金子に年賀状を書くほどの愛妻家だった。
これに対して、菊田一夫は恋多き男であり、生涯に渡って10数人と不倫をしていたのだが、不倫をして炎上した俳優やオリンピック選手とは違い、マスコミからも愛された不倫王だったのである。
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■マスコミから愛された不倫王・菊田一夫
菊田一夫は、脚本家だったので、女優に個人レッスンをしているうちに、男女の関係になるという手口で、女優と交際していた。
そして、菊田一夫は高杉妙子と結婚していたのだが、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の放送中に、「鐘の鳴る丘」に出演中の歌手・能勢妙子と不倫を開始した。
国民的人気のラジオドラマの人気脚本家が不倫をしていれば、大スキャンダルに発展するところだが、能勢妙子の方は夫に問題があり、菊田一夫は情に厚くて、いつも人助けで不倫をしていたようなところがあった。
このため、週刊誌は、菊田一夫と能勢妙子の不倫を知っていたのだが、菊田一夫は情が深いと言うことを知っていたので、一切、報道しなかったのでる。
ところが、能勢妙子の夫が不倫相手の菊田一夫を訴えたため、新聞報道になってしまったので、週刊誌も隠す必要がなくなり、不倫を報道したのだ。
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、戦争浮浪児をテーマとしたドラマで、菊田一夫は世間から子供達の教育者と思われるようになっていため、子供達への影響を懸念してGHQのハギンスに降板を申し出た。
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は国民的な人気ラジオドラマだったので、GHQのハギンスは降板を認めず、「鐘の鳴る丘」は続いたが、ハギンスが転勤して後任が着任したのを機に、菊田一夫は「鐘の鳴る丘」を終わらせた。
その後、能勢妙子の離婚が成立し、菊田一夫は念願が叶って能勢妙子と結婚したのだった。
■その後
能勢妙子と結婚して幸せな家庭を築くのなら、ハッピーエンドなのだが、浮気をする人は浮気を繰り返すものである。
その後も菊田一夫は宝塚ジェンヌなどを愛人にした。宝塚女優の浦島千歌子や浜木綿子も愛人だったようだ。女性と別れるときは、全てを女性に残して、身一つで出て行くというスタイルで、生涯で十数人の愛人を持ったようだ。
晩年、最後の愛人となったのが西尾恵美子である。菊田一夫が糖尿病で入院したとき、西尾恵美子が介護をしてくれ、おしめを洗ってくれたりしたので、菊田一夫は西尾恵美子を「伴侶」と公言した。
そして、菊田一夫は妻の能勢妙子を住んでいた地名から「笄町(こうがいちょう)」と呼び、西尾恵美子に「笄町とは別れて結婚する」と約束していた。
しかし、正妻の能勢妙子が意地でも離婚を拒否したので、菊田一夫は西尾恵美子と結婚する事が出来ず、最後は西尾恵美子にも捨てられた。
その後、持病のある菊田一夫は、部屋で野垂れ死のうとしたのか、何も食べて居らず、死にかけていた所を演芸部長の横山清二に発見され、一命を取り留めた。
それでも、菊田一夫は透析を拒否していたようで、最後は糖尿病の悪化による脳卒中で死んだ。65歳だった。
これを読んだ男性は、作曲家になるよりも、脚本家になった方が得なのではないかと勘違いするかもしれないが、それは間違いである。
作曲家や作詞家も、「デビューさせてあげる」などと言い、歌手志望の若い女性をチョメチョメしていたのである。
ところで、杏の夫が愛人と失踪するドラマが始まっているので、詳しくは「恋する母たち-原作のあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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