朝ドラ「エール」永田武のモデル永井隆と妻や子供の家系図

NHKの朝ドラ「エール」に登場する永田武(吉岡秀隆)のモデル永井隆(ながい・たかし)の家系図をネタバレします。

朝ドラ「エール」のモデルや実話のネタバレは「エール-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■永井隆の家系図

永井隆の家系図

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■永井隆の家系図の解説

永井家は、戦国大名・毛利元就の家系で、家紋は毛利家と同じ「一文字三ツ星」を使用してるが、江戸時代に落ちぶれて代々、松江藩の薬草係を務めていた。

しかし、ある先祖が島根県横田町の烏上山に薬草を取りに出かけたときに、山里の娘と恋に落ち、全てを捨てて島根県横田町へと移り住んだ。

そして、永井隆の祖父にあたる永井文隆が、横田町の永井家から分家して、上山村で漢方医となった。

永井文隆の長男・永井寛は、農業に従事したが、一生を土いじりで終わるのは馬鹿げていると思い、20歳の時に医者を志して家を飛び出し、松江市の田野産婦人科医院で働きながら医学を学び、独学で国家資格に合格し、医師免許を得た。

その後、永井寛は、足軽の娘・安田ツネと結婚し、翌年の明治41年2月3日に長男・永井隆が生まれた。

永井寛は、田野産婦人科医院で働いていたが、長男・永井隆が生まれてから半年後、飯石村(島根県雲南市三刀屋町)から招かれ、飯石村で開業医となった。

妻の安田ツネは、長男・永井隆を出産した後、長女・永井文子、次女・永井佐和子、次男・永井元、三女・永井英子を出産する一方で、夫から医学を学び、代診医となって夫を支えた。

■永井隆の結婚と子供のネタバレ

永井隆は、飯石村で育ち、飯石小学校を卒業後、松江中学へと進学し、松江高校を経て、長崎医科大学(長崎大学医学部)へ入学した。

このとき、永井隆はカトリック系の森山家に下宿し、後に妻となる森山家の娘・森山緑と出会う。

さて、永井隆は、中耳炎になった時に右耳が不自由になったため、内科から物理的療法科へと転校し、放射線を学んだ。

その後、軍医として満州事変に従軍し、復員後にキリスト教(カトリック教)の洗礼を受け、森山緑と結婚した。

その後、長崎医科大学の講師に就任。日中戦争にも軍医として従軍して、復員するが、物資不足のため、透視による診察を行っていたことから、放射線を浴びて被爆し、慢性骨髄性白血病と診断され、余命3年の宣告を受けた。

余命宣告から2ヶ月後の昭和20年8月9日、長崎県に原爆が投下された。子供達は疎開して無事だったが、妻・永井緑が原爆で死去する。

永井隆は、原爆の影響で重傷を負うが、長崎医科大学付属病院に居たので助かり、妻・永井緑を埋葬後、借家に「長崎医大付属病院第十一医療隊救護所」を設置して被爆者の救護に従事した。

しかし、「長崎医大付属病院第十一医療隊救護所」は永井隆が倒れたため、2ヶ月ほどで解散を余儀なくされた。

そして、永井隆は昭和21年に白血病が悪化して病床生活に入り、昭和21年に著書「長崎の鐘」を書き上げ、昭和23年には著書「この子を残して」を発表し、余命宣告よりも長く生き、昭和26年(1951年)5月1日に死去した。

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■その後

昭和24年に、作詞・サトウハチロー、作曲・古関裕而で、「長崎の鐘」のレコードが発売されて大ヒットし、昭和25年に映画「長崎の鐘」が上映された。

この影響で、長崎県に観光客が増え、永井家も潤ったが、3年ほどで長崎ブームも終演し、その後は永井家も苦しい生活を強いられた。

なお、永井隆の子供は、長男・永井誠一、長女・永井郁子、次女・永井茅乃、三女・永井笹乃の4人で、長女・永井郁子と三女・永井笹乃は夭折し、長男・永井誠一は2001年に死去、次女・永井茅乃は2008年に死去している。

古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而の家系図は「「エール」のモデル古関裕而と古関金子の家系図と子供のネタバレ」をご覧ください。

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