朝ドラ「エール」霧島アキラのモデルとネタバレ
NHKの朝ドラ「エール」に登場するロカビリー歌手・霧島アキラのモデルとネタバレです。
■霧島アキラのモデルとネタバレ
霧島アキラは、ロカビリーバンドのボーカルで、メジャーデビューはしていないが、もの凄いに人気で、ファンが殺到して足を骨折し、入院した。
その入院先の病院というのが、古山華(古川琴音)の働く病院だった。
他の看護婦達は、霧島アキラが入院したというので大騒ぎするが、古山華(古川琴音)は大騒ぎには加わっていなかったので、古山華は院長から霧島アキラの担当に指名された。
霧島アキラが古山華(古川琴音)に「もっと気楽にやれば?重いよ」と言うと、古山華は竹中渉(伊藤あさひ)と破局した時の事を思いだし、自分を変えたいと思い、「軽い女」を目指すことにした。
こうして、古山華は夜遊びをして、様々な男と出会うようになるが、良い男性と出会うことはできず、軽い女になるのを諦めた。
しかし、古山華は出会った医師から、日本では珍しいリハビリの話を聞いて、リハビリに興味を持ち、リハビリの導入を病院に提案した。
すると、病院からリハビリを認められ、古山華(古川琴音)は霧島アキラのリハビリを担当となり、やがて、霧島アキラからプロポーズされ、結婚を決める。
そのようななか、霧島アキラはバンドのメンバーからクビを宣告された。バンドは、「ボーカルを変える」という条件で、メジャーデビューをすることになったのだ。
退院した霧島アキラは、古山裕一(窪田正孝)に結婚の許しを貰いに行くが、古山裕一は「音楽で食えるようになったら来なさい」と結婚を認めなかった。
する、怒った古山音(二階堂ふみ)は「貴方には人のことを言えない。貴方がレコード会社と契約できたのは私のおかげ。曲もボツにされ続けた」と言い、古山裕一(窪田正孝)に結婚の許可を迫る。
しかし、古山裕一(窪田正孝)が「霧島アキラは女性の経験人数が多い。遊び人だ。華が不幸になる」と反論すると、古山音(二階堂ふみ)は霧島アキラの女性経験の人数を知って一転し、古山華(古川琴音)の結婚に反対する。
その後、紆余曲折の末に結婚が認められ、霧島アキラは古山華(古川琴音)との結婚して、新しいロカビリーバンドでデビューし、ロカビリーブームに乗って人気歌手の仲間入りを果たした。子供も2人生まれ、幸せに過ごした。
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■霧島アキラのモデル
霧島アキラのモデルは、「ロカビリー3人男」の平尾昌晃(ひらお・まさあき)だと考えられる。
さて、1950年代に黒人音楽のブルースと白人音楽が融合して、ロックンロールなどの新しい音楽が生まれた。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の第1作で、マイケル・J・フォックスが体育館のダンスパーティーで演奏したのが、ロックンロールの創始者チャック・ベリーの代表曲「ジョニーBグット」である。
こうして生まれたロックンロールがアメリカ西部の「ヒルビリー」という音楽と融合して、「ロカビリー」という音楽が誕生した。
「ロカビリー」という言葉が生まれたのは、エルビス・プレスリーの「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」という曲からである。
このころ、日本で洋楽といえばジャズだったのだが、日本にもロカビリーが輸入されるようになり、1950年代の後半に日本でもロカビリーが大ヒットし、ジャズを駆逐していった。
こうした中から、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎が台頭し、「ロカビリー3人男」と呼ばれたのである。
したがって、霧島アキラのモデルは平尾昌晃だと考えられる。
しかし、平尾昌晃は古山華(古川琴音)のモデルと結婚していないし、特筆するようなエピソードもないので、平尾昌晃の生涯の紹介は省略する。
なお、朝ドラ「エール」のモデルや史実のネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。
コメント欄
これから、宮沢氷魚さんが演じている、霧島アキラさんの歌が楽しみです。