浪花千栄子が「オロナイン軟膏」のCMに出演した理由は本名だった

NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子が「オロナイン軟膏」のCMに出演した理由のネタバレです。

■大村崑も降参した浪花千栄子の本名

「オロナイン軟膏」は、昭和28年(1953年)に大塚製薬が発売した皮膚用抗菌軟膏剤薬である。当初は順調に売り上げが伸びていたが、しばらくすると、匂いの問題もあり、売り上げは頭打ちとなった。

そこで、大塚製薬は「オロナイン軟膏」を改良。昭和28年にテレビ放送が始まっており、大塚製薬は昭和32年に放送を開始したテレビ番組「頓馬天狗」で「オロナイン軟膏」のテレビCMを流した。

テレビ番組「頓馬天狗」は、大塚製薬が単独スポンサーになっており、主人公「尾呂内楠公」の名前は「オロナイン軟膏」を、もじったものである。

この「尾呂内楠公」を演じたのが、当時、爆発的な人気を誇った喜劇役者・大村崑で、大村崑が「オロナイン軟膏」の看板だった。

「尾呂内楠公」の決めぜりふは、「姓は尾呂内、名は楠公」で、かなり評判も良かったようだ。

しかし、大塚製薬の副社長が、女優・浪花千栄子の本名が「南口キクノ」という事を知って驚き、「南口キクノ」が「軟膏効くの」に聞こえるということで、浪花千栄子を「オロナイン軟膏」の看板に使用する事を決め、浪花千栄子が「オロナイン軟膏」の広告塔に起用された。
オロナイン軟膏と浪花千栄子

浪花千栄子はテレビCMのなかで、「浪花さんは、聞くところによりますと、本名が南口キクノさんとおっしゃるようでございますね」という質問に対して、「そうでございます。そのご縁から、オロナインのコマーシャルやらさせていただいたんでございます」と答えている。

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■クビになった大村崑は「オロナミンC」へ

さて、浪花千栄子がCMに起用されれば、大村崑は「オロナイン軟膏」のCMを降板することになるので、大村崑は抵抗するかと思われたが、浪花千栄子の本名が「南口キクノ」だと知ると、アッサリと降板を認めた。

そして、その代わりとして、大塚製薬は大村崑に、新商品「オロナミンC」のCM出演を打診した。

「オロナミンC」という名称は、「オロナイン」と「ビタミンC」を掛け合わせた造語である。

大村崑は「当時出ていた生放送の番組内で、僕が大塚製薬の『オロナイン軟膏』という商品名を言うのが評判だったんですが、その役目は先輩の女優に取られてしまった。そしたら大塚製薬の人がウチにやって来て、これから売り出す新商品の宣伝をしてくれないかという。それが元気ハツラツの『オロナミンC』でした」と話す。

しかし、大村崑は、結核に感染して肺が片方しか無いうえ、左目も弱視で、左耳も聞こえず、医者から「障害者手帳を申請しなさい」「40歳までに死ぬ」と言われる程の虚弱体質だった。

このため、大村崑は「オロナミンC」のCMを断ろうとしたが、運良く結婚で居た妻・瑤子に無理矢理、「オロナミンC」のCMに出演させられたのだという。

こうして、浪花千栄子が「オロナイン軟膏」の顔となり、大村崑は「オロナミンC」の顔となったのである。

なお、朝ドラ「エール」のモデルとネタバレは「おちょやん-あらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。

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