おちょやんの史実-天海一座のモデルとネタバレ

NHKの朝ドラ「おちょやん」に登場する「天海一座」のモデルと実話のネタバレです。

竹井千代(杉咲花)のモデルについては「竹井千代(杉咲花)のモデルとネタバレ」をご覧ください。

■おちょやん-天海一座のネタバレ

「天海一座」は、天海天海(茂山宗彦)が率いる喜劇団である。

須賀廼家万太郎(板尾創路)が率いる「万太郎一座」が喜劇界の頂点に君臨していたが、「天海一座」は「万太郎一座」をしのぐ人気を誇っていた。

しかし、天海天海(茂山宗彦)が死ぬと、「天海一座」は人気が低迷したため、須賀廼家千之助(ほっしゃん)が「天海一座」を見限って逃げ出した。

須賀廼家千之助(ほっしゃん)が抜けると、「天海一座」は人気ががた落ちして解散を余儀なくされてしまうのだった。

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■天海一座のモデルは「楽天会」

明治37年(1904年)に「曽我廼家兄弟劇」が誕生し、「曽我廼家兄弟劇」が喜劇界の頂点に君臨した。

松竹は、ライバルを作って「曽我廼家兄弟劇」と競わせるため、明治39年に中島楽翁と初代・渋谷天外を支援して喜劇団を旗揚げさせた。これが後に「楽天会」と改称する。

「楽天会」は、日本一と言われた「曽我廼家兄弟劇」をしのぐ人気を誇っていたが、大正5年(1916年)に初代・渋谷天外が死去すると、人気が低迷し、地方をドサ回りするような劇団に成り下がった。

息子の2代目・渋谷天外は、「楽天会」の子役をやっていたが、初代・渋谷天外が死ぬと、親の七光りが消え、ボロクソに扱われるようになった。

中島楽翁が居たので、「楽天会」は何とかドサ回りを続けていたが、大正9年9月に中島楽翁が死ぬと、「楽天会」は持ちこたえられず、解散した。

■おちょやんの実話ネタバレ

2代目・渋谷天外は、父親の死後、子役を辞めようとしたが、周囲の大人(ひいき筋)にダメだと言われ、子役を続けた。

そのひいき筋の1人が道頓堀の芝居茶屋「岡島」で、2代目・渋谷天外は、父親の死後、芝居茶屋「岡島」に居候した。

この「岡島」の向かいに、仕出し料理屋「浪花料理」があり、「浪花料理」には浪花千栄子が「
おちょやん(子供の女中)」として奉公していた。

このため、2代目・渋谷天外と浪花千栄子は、子供の頃からの幼なじみだったのである。

なお、朝ドラ「おちょやん」のモデルやネタバレは「おちょやん-あらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。

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