おちょやん-高城百合子(井川遥)のモデルは岡田嘉子
NHKの朝ドラ「おちょやん」に登場する高城百合子(井川遥)の実在のモデルと実話のネタバレです。
■高城百合子(井川遥)の実在のモデル
高城百合子(井川遥)のモデルは2人居ると考えられる。
1人目は、浪花千栄子が所属していた映画会社「東亜キネマ」のスター女優だった千種百合子と考えられる。
ただし、千種百合子の要素は重要では無いので、千種百合子の生涯を紹介するのは省略する。
2人目は、戦前のスキャンダル女優・岡田嘉子である。岡田嘉子は、高城百合子(井川遥)のモデルとして重要になるので、モデルとなったエピソードを紹介する。
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■岡田嘉子の生涯
岡田嘉子(おかだ・よしこ)は明治35年(1902年)4月生まれ、広島県の出身である。
岡田嘉子は絵を習っていたので、女子美術学校の西洋画科へ入学したが、父・岡田武雄が北海道小樽の「北門日報」の主筆に招かれたので、岡田嘉子も卒業後、北海道へと移り、「北門日報」の婦人記者となった。
しかし、演芸会に出演したことを切っ掛けに、女優に成ることを切望するようになり、父親の知り合いの作家を頼って大正3年2月に上京し、大正3年8月に東京の有楽座で初舞台を踏んだ。
岡田嘉子は、その美貌が買われて、大正13年に映画の日活からスター女優として招かれ、昭和2年に映画「椿姫」で主演することになり、映画「椿姫」の撮影が始まるが、大勢の前で監督から罵倒された。
そのようななか、岡田嘉子は、内縁の夫・山田隆弥と関係悪化や仕事について悩んでおり、それを相手役の竹内良一に見抜かれてしまった。
岡田嘉子は悩みを竹内良一に相談すると、竹内良一から愛の言葉をかけられたので、2人は「椿姫」の撮影中に駆け落ちしたのである。
映画「椿姫」に主演する映画スターが駆け落ちしたので、マスコミも「情死しただろう」と騒ぎ立てたが、岡田嘉子らは無理心中はしておらず、飯塚という田舎で結ばれた。
朝ドラ「おちょやん」の高城百合子(井川遥)が男性俳優と駆け落ちするエピソードは、岡田嘉子が竹内良一と駆け落ちした実話がモデルとなっている。
■今度はソ連へ亡命
映画「椿姫」の撮影中に駆け落ちをした岡田嘉子は、日活をクビになり、映画界から追放されたので、岡田嘉子一座を立ち上げて、竹内良一と共に巡業した。
5年ほど地方を巡業して、ほとぼりが冷めると、岡田嘉子は昭和7年に松竹と契約して映画界に復帰し、演出家・杉本良吉と出会う。
そして、岡田嘉子が演技の事を演出家・杉本良吉に相談した事が切っ掛けで、2人は恋愛関係に発展するのだった。
しかし、時代が悪かった。戦前は共産主義者や社会主義者を「アカ」と呼んで危険視しており、アカだった杉本良吉は徴兵検査を受ければ、刑務所に送られる可能性があった。
色々な説があり、詳しい事情は分らないが、杉本良吉は岡田嘉子を連れて、昭和13年1月に樺太からソ連へと亡命したのである。
一方、朝ドラ「おちょやん」の天海一平(成田凌)のモデル2代目・渋谷天外は、「新協劇団」の芝居をよく観に行っており、「新協劇団」と親しくなり、アカの影響を受けていた。
妻の浪花千栄子は、戦時中に2代目・渋谷天外がアカを連れて帰ってきて面倒をみるので、怖い思いをしながらアカの世話をしている。
また、2代目・渋谷天外は、アカが大陸へ亡命する資金を用立てており、妻の浪花千栄子は資金を作るために質屋へと走っている。
ソ連に亡命した杉本良吉は、「新協劇団」に在籍していたので、2代目・渋谷天外と知り合いで、ソ連に亡命する前に2代目・渋谷天外に相談したようだ。
すると、2代目・渋谷天外は、ソ連は寒いだろうと言い、登山靴のような特別な靴や逃亡資金を渡したと伝わっている。
こうした実話から考えると、高城百合子(井川遥)がどこかに亡命する可能性は十分にある。
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■岡田嘉子の晩年と死
杉本良吉と岡田嘉子はソ連への亡命に成功したが、ソ連からスパイの容疑をかけられ、2人は引き裂かれて独房へと入れられた。
その後、杉本良吉は裁判で銃殺刑となって死んだ。岡田嘉子は刑務所に幽閉され続け、終戦後に釈放されたようだ。
岡田嘉子は、釈放後、自由の身となるが、自らの意思でモスクワに残り、モスクワ放送局で日本語放送のアナウンサーを務め、滝口新太郎と結婚した。
岡田嘉子は昭和47年に、35年ぶりに帰国して日本の映画やテレビに出演したが、昭和61年に「やはり私はロシア人」と言い、再びソ連へと戻り、平成4年(1992年)にモスクワで死亡した。
「朝ドラ「おちょやん」のあらすじとモデルのネタバレ」へ続く。
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