「おちょやん」のモデル・浪花千栄子の宗教とお経は弁天宗

NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子が入信していた宗教をネタバレします。

■浪花千栄子の宗教ネタバレ

竹井千代(杉咲花)のモデル浪花千栄子が入信していた宗教は、大森智弁(本名は吉井清子)が開いた新興宗教「弁天宗(べんてんしゅう)」である。

(注釈:当ブログでは新字体を使用していますが、正確な表記は旧字体を使用した「辯天宗」です。)

教祖の大森智弁は、明治42年(1909年)4月1日に奈良県吉野郡吉野町飯貝で、吉井重吉の長女として生まれた。子供の頃から山に入って薬草を取ったり、予言めいた事を言ったりしていた。

その後、大森智弁は、昭和4年に大師堂の堂守だった大森智祥と結婚。結婚後、夫の大森智祥が十輪寺の住職となったので、大森智弁は住職の妻という立場になり、檀家の相談に乗るようになる。

あるとき、大森智弁は原因不明の病気に悩まされるが、老人から「十輪寺には弁天様の象があるはずだ。弁天様が埃を被っているのが悪いのではないか」と言われたので、探してみると、弁天様の象があり、夫の大森智祥が弁天様をまつってお経を唱えたところ、妻・大森智弁の病気が治った。

昭和9年4月、大森智弁は庭で草むしりをしていたとき、弁天様(弁財天)の「そなたは人妻となり、人の子の母となって、もはや、世の人とたちまじっての修行は終えた。これより先は、この弁才天の顕神、身代わりとなって、現世にあって、人の苦しみ、悩みを救うがよい」という声を聞いた。

これ以降、大森智弁は弁財天のお告げを聞くようになり、檀家の抱える問題などを解決していき、次第に信者を増やしていくのだった。

戦時中、警察に目を付けられるが、警察が試しに、遺書を残して居なくなった人の霊視を依頼すると、大森智弁は入水自殺した場所を言い当てたので、警察は手を出せなかった。

その一方で、十輪寺の中で弁天様を信仰して、信者を増やしていったので、快く思わない人も居たため、戦後の昭和27年に「弁天宗」を設立して、十輪寺から独立して宗教団体となった。

弁天宗の教祖が大森智弁で、その名前から分るように、和歌山県の野球の強豪「智弁学園」と、漢方薬を製造している「チベン製薬」が、弁天宗の系列会社である。

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■浪花千栄子は熱心な信者だった

浪花千栄子は、毎朝40分のお経を唱え、婦人部長まで務めたという弁天宗の熱心な信者だった。その証拠は自伝「水のように」のタイトルに隠されている。

弁天様というのは水の神様で、大森智弁は弁天様から「低きにながれ、低きにしみとおるのが水じゃ。水の心を心とせよ。水の心のある所、弁才天(弁天様)は、常にそなたとともにあって、現世苦業を滅するであろう」という啓示を受けており、弁天宗の教えは「水」に例えられている。

つまり、浪花千栄子の自伝「水のように」というタイトルは、弁天宗の教えから来ているのである。本の中にも少しだけ弁天宗についての記述がある。

浪花千栄子が死去したときのも、葬儀は大阪府茨木市にある弁天宗大阪本部で行っている。喪主は養子の南口輝美だった。

■有名人の信者が多い

弁天宗には有名人の信者が多い。松下電器(パナソニック)の創業者・松下幸之助も、大森智弁に事業の相談をしたことを切っ掛けに熱心な信者になった。

国会議員の笹川良一や原健三郎も信者だった。浪花千栄子の影響で、清川虹子や花菱アチャコも信者になった。西條八十・山田耕筰・川上のぼるなど、芸能人の信者も多かったようだ。

変わり種では、天台宗の中尊寺貫主・今東光である。今東光(こん・とうこう)は、浪花千栄子の知り合いで、大森智弁が今東光の妻の病気を治したのを切っ掛けに、信者となった。

浪花千栄子は毎日、お経を唱えていたので、朝ドラ「おちょやん」でもお経を唱えるシーンぐらいは描かれるかも知れないが、竹井千代(杉咲花)が新興宗教に入るエピソードは描かれないと思うので、弁天宗の解説はこの辺にとどめておく。

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コメント欄

「辯天宗」ですがね
漢字くらいちゃんと書きなさい

  • 投稿者-
  • ななし

ご指摘ありがとうございます。本文に注釈で正しい表記を加えました。

  • 投稿者-
  • 管理人