砂田駒子(すなだ・こまこ)の生涯

NHKの朝ドラ「おちょやん」に登場するミカ本田(ファーストサマーウイカ)のモデル砂田駒子の生涯を紹介します。

■砂田駒子の生涯

砂田駒子(すなだ・こまこ)は明治33年(1900年)に岡山県御津郡大野村(岡山県岡山市)に生まれた。

1歳の時に父親がアメリカへと渡りった。砂田駒子は日本に残っていたが、4歳の時に母親に連れられてアメリカへと渡り、アメリカで育った。

男勝りの活発な女の子で、素人の芝居に子役として出演して初舞台を踏んだ。

13歳の時に一家でロサンゼルスへと渡り、高校時代に映画が好きになり、ハリウッド映画のエキストラとして出演するようになる。

そのようななか、父親は、経営していた果物店が経営不振になったので、果物店を廃業して、ロサンゼルスの郊外へ引っ越し、農業を始める。

砂田駒子は、ロサンゼルスの郊外へ引っ越しても、自転車を買ってもらい、自転車でハリウッドに通い、エキストラを続け、ルバート・ジュリアン監督の映画「旅の女」や、早川雪洲の映画「桜の光」などに出演した。

そして、22歳のとき、父親の紹介で、アメリカで俳優をしていたアメリカで俳優をしていたフランク徳永(徳永文六)と結婚した。

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■日本の映画界で活躍

23歳の春に、夫のフランク徳永と共に帰国し、夫婦で創業して間もない東亜キネマ甲陽撮影所に入った。

そこで、夫のフランク徳永が映画監督に転向し、フランク徳永が監督を務め、夫婦で主演する「愛の秘密」を撮影した。

この「愛の秘密」は、東亜キネマ甲陽撮影所の記念するべき初作品なのだが、映画が大コケしてしてしまう。

このため、夫婦は日活大将軍撮影所へと移り、砂田駒子は女優を続け、夫のフランク徳永は助監督となって映画の修行をした。

砂田駒子は、25歳の時に監督・村田実の映画「街の手品師」に、大富豪の令嬢役で出演し、岡田嘉子と共演した。

映画「街の手品師」は、岡田嘉子の日活移籍1作目で、芸術作品として高く評価された。

砂田駒子の演技も高く評価され、大富豪の令嬢役が当たり役となり、監督の村田実、溝口健二などの映画に出演し、夫のフランク徳永が監督を務めた映画「愛に輝く女性」「東洋のカルメン」などで主演した。

26歳の時に主演した「続・東洋のカルメン」では原作も手がけ、監督・阿部豊の映画「陸の人魚」では当たり役の大富豪の令嬢を演じて映画をヒットさせたが、昭和2年、27歳の時に再び夫婦でアメリカへと渡った。

■再帰国

27歳の時に夫婦で再び渡米し、29歳の時に帰国するのだが、砂田駒子は帰国後、マキノプロダクションへ入り、夫のフランク徳永は日活太秦撮影所へと入り、以降は別行動を取った(離婚したのかもしれない)。

砂田駒子はマキノプロで、津村博と共演した映画「銀流し」「パイプの三吉」をヒットさせ、映画「銀座王」「ブルドックボーイ」などに出演した。

29歳の時にマキノプロダクションを辞め、レビュー団を組織して松竹系の劇場に出演していたが、30歳で帝国キネマに入る。

そして、帝国キネマで、映画「放浪の春」「女社長閣下」などに出演したが、31歳の時に帝国キネマを辞め、映画界から消えた。その後の行方は分らない。

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