おちょやん-須賀廼家万歳(すがのや・ばんざい)のモデル

NHKの朝ドラ「おちょやん」に登場する須賀廼家万歳(すがのや・ばんざい/藤山扇治郎)の実在のモデルとネタバレです。

■須賀廼家万歳(藤山扇治郎)のネタバレ

須賀廼家万歳(藤山扇治郎)は、須賀廼家万太郎一座の座員で、須賀廼家万太郎(板尾創路)を尊敬している。

戦後、新たに旗揚げされた「鶴亀新喜劇」に加わり、竹井千代(杉咲花)らとともに活躍する。

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■須賀廼家万歳(藤山扇治郎)のモデル

須賀廼家万歳(藤山扇治郎)のモデルは、喜劇役者の曾我廼家五郎八だと考えられる。

須賀廼家万歳(すがのや・ばんざい)

喜劇の創始者・曽我廼家五郎は揚羽蝶の紋を使っていたことから、気に入った弟子には「蝶」の文字を付けていたので、曽我廼家明蝶らのように「蝶」の文字が入った弟子が多かった。

しかし、曾我廼家五郎八は、「蝶」の入る名前が嫌だったので、「曾我廼家五郎を下から八で支えたい。八は末広がりで縁起が良い。それに、568はオイチョカブで強い。五郎八茶碗のように有名で大きな人間に成りたい」と言い、師匠の曽我廼家五郎の下に「八」を付け、「曾我廼家五郎八」と名乗った。

須賀廼家万歳(藤山扇治郎)は師匠の須賀廼家万太郎(板尾創路)から「万」の字を貰ったと考えられるので、曾我廼家五郎八がモデルの可能性が大きい。

■曾我廼家五郎八の生涯

曾我廼家五郎八(本名は西岡幸一)は、明治35年(1902年)2月25日に大阪府大阪市で生まれた。

2年間の台湾生活を経て、神戸に移り住み、野球の強豪・関西学院中等部へと進学し、ピッチャーとして野球の全国大会に出場した。

しかし、実家が米屋をしていたので、米騒動に巻き込まれて被害を出してしまい、一家を養うため、進学を諦めて大蔵省土木局で働くようになる。

そのようななか、旅巡業で来ていた新国劇の野球部と試合をしたとき、曾我廼家五郎八は大活躍したので、新国劇から、給料の出る野球部員として招かれ、野球部員として新国劇に転職した。

曾我廼家五郎八は野球部員なので、芝居に出る必要はなかったのだが、頼まれて芝居に出たことを切っ掛けに、芝居の道へと進んだ。

そして、いくつかの劇団を転々としたのち、曽我廼家五郎一座に入った。

曾我廼家五郎八は、入団テストで曽我廼家五郎に認められ、入団間もなく、五郎一座の幹部に抜擢され、関西の喜劇界で活躍するのだった。

戦後の昭和23年11月に、喜劇界の頂点に君臨していた曽我廼家五郎が死ぬと、松竹は「五郎劇」「松竹家庭劇」「すいーと・ほーむ」を合併し、昭和23年12月に「松竹新喜劇」を旗揚げした。

このとき、曾我廼家五郎八は曽我廼家明蝶らとともに「松竹新喜劇」の旗揚げに参加した。

役者の格付け的には、曽我廼家十吾を筆頭に、2代目・渋谷天外、曽我廼家明蝶、曾我廼家五郎八の3人が同格だったようだ。

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■車夫を好演

2代目・渋谷天外が「松竹新喜劇」の女優・九重京子を愛人にして子供を作り、妻の浪花千栄子と離婚したため、長引く不倫騒動の末に、妻の浪花千栄子が昭和26年4月に「松竹新喜劇」を辞めた。

女形トップの浪花千栄子が辞めたため、「松竹新喜劇」はダメージを受けるが、2代目・渋谷天外は昭和26年11月に芝居「桂春団治」を大ヒットさせ、「松竹新喜劇」を軌道に乗せた。

曾我廼家五郎八は「桂春団治」で車夫の「力」を演じて好評を博した。

昭和32年、結婚式を挙げていなかった曾我廼家五郎八と2代目・渋谷天外は、松竹新喜劇の10周年公演を利用して、公演の後に合同結婚式を挙げた。

■趣味に生きる男

曾我廼家五郎八は、若い頃から、趣味に生きる男だった。女はもちろんのこと、バイクやゴルフにも熱心だった。

あるとき、座長の2代目・渋谷天外が、芝居に影響が出ると困ると言い、ゴルフを辞めるように注意したが、曾我廼家五郎八は芝居をおろそかにした事は無いと言い、注意を聞き入れなかった。

その後、2代目・渋谷天外が倒れ、藤山寛美が座長になると、藤山寛美の借金問題が浮上。藤山寛美は借金を返済するために連続無休公演を開始したが、当然、巻き添えを食う劇団員から反発が出る。

曾我廼家五郎八は、趣味にも力を入れていたので、休みが無くてはゴルフが出来ないと思い、周囲の制止を振り切り、昭和41年(1966年)8月に「松竹新喜劇」を辞めてフリーになった。

そして、その後はテレビや映画に出演しながら、ゴルフを楽しみ、平成10年(1998年)1月20日に死去した。96歳だった。

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■キャストのネタバレ

須賀廼家万歳を演じるのは藤山扇治郎です。

藤山扇治郎は、朝ドラ「まんぷく」で、福子(安藤サクラ)に缶詰をプレゼントし続け、「缶詰の人」と話題になった人です。

藤山扇治郎は、「松竹新喜劇」の座長を務めたが藤山寛美の孫なので、簡単に家系図を紹介しておきます。
藤山寛美と孫・藤山扇治郎

藤山寛美の父・藤山秋美は「成美団」の俳優だったのですが、若くして死にました。

父・藤山秋美の死後、子供が沢山居るのだから、1人くらいは役者になった方が父・藤山秋美も喜ぶだろうと助言され、末っ子の藤山寛美が子役として舞台に立つようになりまり、やがて、松竹新喜劇で活躍するようになります。

妻の高橋峰子は京都の芸子出身で、連れ子が居たので、双方の周囲から結婚を反対されたのですが、藤山寛美は高橋峰子と結婚し、連れ子を引き取りました。

藤山寛美は高橋峰子と結婚して女遊びは打ち止めになった言うのですが、真っ赤な嘘です。妻の高橋峰子は自殺を考えるほど、藤山寛美の女遊びに苦しんだようです。

さて、藤山寛美の実子は3女・4女・5女の3人で、3女が芸能界に入って「藤山直子」として活躍してします。

そして、5女・美千留が小唄白扇派の家元・白扇夕樹夫と結婚して、2人の間に生まれたのが藤山扇治郎です。

藤山扇治郎は、元宝塚のトップスター北翔海莉と結婚しており、2人の間に子供が生まれてします。

■気になる点

「おちょやん」に登場する須賀廼家万歳(藤山扇治郎)の「万歳」は「まんざい」ではなく、「ばんさい」と読ませている点が気になる。

「ばんざい」というと、トータス松本が在籍する「ウルフルズ」に「バンザイ-好きでよかった」という曲を連想したのだが、竹井テルヲ(トータス松本)が関連しているのだろうか。

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