広末涼子の実家と父親と母親のネタバレ

高知県出身のタレント広末涼子(ひろすえ・りょうこ)の実家と父親と母親をネタバレします。

■広末涼子の家系のネタバレ

広末涼子の広末家は、高知県安芸郡田野町の農家だった。「広末」という名字は、子孫繁栄を願って「末が広がる」という意味が込められているらしい。

農家だった広末家は、明治時代に西山常三郎を養子に迎え、広末常三郎が金物商「広末常三郎商店」を開業し、商売を繁盛させた。

広末涼子の広末家は、この広末常三郎の次男の家系となる。

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■広末涼子の実家のネタバレ

広末常三郎の次男・広末静一は、昭和2年に独立して、高知県高知市帯屋町で広末金物店を始めた。その周辺が商店街に発展し、広末金物店も繁盛したが、高知大空襲で燃えた。

広末常三郎は戦後、いち早く、復興を初め、帯屋町商店街の復興の原動力となった。

そして、長男が戦死したので、次男の広末隆久が広末家を継いだ。この広末隆久が広末涼子の祖父である。

広末金物店は「金物店」という名前ではあるが、高度成長の波に乗り、電化製品など4000点もの商品を取り扱い、「広末金物店に行けば、無い物は無い」と言われるほどになったていた。

そして、広末隆久の次男・広末忠彦が、広末涼子の父親で、次男・広末忠彦は横浜の大学に進学し、安藤眞弓と出会う。広末忠彦がお茶に誘ったのが切っ掛けだという。

そして、広末忠彦が大学を卒業して高知の実家へ帰るとき、安藤眞弓が「帰るのなら、結婚は出来ないわね」と言うと、広末忠彦は驚いて、プロポーズもしていないのに、安藤眞弓の両親に結婚の許可を貰いに行き、2年後に2人は結ばれて結婚した。

こうして、広末忠彦と安藤眞弓は高知県の広末金物店に戻り、昭和55年に女の子が生まれた。それが広末涼子である。

しかし、昭和58年(1983年)11月に隣の飲食店から失火し、「広末金物店」も燃えてしまった。

このころ金物店は環境の変化で厳しくなり始めていたので、広末忠彦の兄・広末幸彦は、金物店を再建せず、金物店の跡地に商業ビルへと転業した。

そこで、広末忠彦と安藤眞弓は、火事の後に独立し、帯屋町商店街で雑貨店を始めた。

子供の頃から女優を夢見ていた広末涼子は、平成6年(1994年)に雑誌で見つけたCMのオーディションに応募すると、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリに選ばれ、翌年にCMデビューして芸能界に入るのだった。

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