おかえりモネ-田中知久(トムさん)のモデル

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」に登場する田中知久(たなか・ともひさ/塚本晋也)のあらすじとモデルの解説です。

■田中知久(トムさん)の実在のモデル

ジャス喫茶のマスター田中知久(トムさん)の実在のモデルは、岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー(BASIE)」のマスター菅原正二と考えられます。

田中知久(トムさん)の店名が「Swifty(スウィフティー)」で、モデルの菅原正二はカウント・ベイシーから「Swifty」と呼ばれていました。

菅原正二は昭和17年(1942年)に岩手県で生まれ、早稲田大学在学中に「ハイソサエティー・オーケストラ」のドラマーとして活躍し、TBSの「全国大学対抗バンド合戦」で3年連続全国優勝を果たし、1967年には、ビッグバンドとして日本初の米国ツアーを敢行しました。

そして、1970年に岩手県一関市へ戻って、ジャズ喫茶「ベイシー」を開店します。

菅原正二は、ジャズを聴くにはジャズを聴く環境が必要だという信念から、オーディオにこだわりを持ち、世界中のジャズファンやオーディオファンが「ベイシー」に集まっています。

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■田中知久(トムさん)のモデル2

田中知久(トムさん)のモデル2人目は、登米町出身の写真家の三浦功大(みうら・こうだい)だと考えられます。

三浦功大は、1942年に宮城県登米町で生まれている。東京写真短期大学を卒業後、パークスタジオ、アド・ファイブを経てフリーとして活躍し、来日したジャズマンを撮影した写真集「JAZZ in Japan 1963-1974」で世界的な写真家としての地位を確立した。

三浦功大は蓮文化研究会の会員でもあり、「蓮の文華史」という本も出版している。

田中知久(トムさん)は、喫茶店にジャズマンの写真を飾っていた他、部屋に蓮の花の写真を飾っていたことから、モデルは写真家の三浦功大だと考えられます。

なお、登場人物の実在のモデル一覧は「おかりモネ-実在のモデルの一覧」をご覧ください。

■田中知久のあらすじ

田中知久(塚本晋也)は、東京の音楽業界で働いていたのだが、今は宮城県登米市にあるジャズ喫茶のマスターをしている。愛称は「トムさん」で、カメラを趣味にしている。

田中知久は喘息で、米麻町森林組合に併設されている「よねま診療所」に通っており、米麻町森林組合で働き始めた永浦百音(清原果耶)と出会う。

田中知久は、トランペット奏者だった父・永浦耕治(内野聖陽)の古くからの友人で、永浦百音に永浦耕治と永浦亜哉子(鈴木京香)の馴れ初めを教える。

田中知久(塚本晋也)は、若い頃の道楽が祟って、妻と子供に逃げられて1人で暮らしていたのだが、孫が生まれる事を知り、家族で食事をしたいと思い、永浦百音にテーブルを注文する。

しかし、田中知久は病気になってテーブルをキャンセルし、病気の治療も受けなくなってしまう。

永浦百音は、田中知久が1人暮らしなのに、家族用のテーブルを注文したのは、家族と食事をしたいからだと気づき、田中知久を説得した。

田中知久は、医師・菅波光太朗(坂口健太郎)の説得もあり、治療を受けることにして、テーブルを改めて注文し、テーブルが完成すると、永浦百音に「元妻と会うので、立ち会って欲しい」と頼むのだった。

なお、元妻は娘が居ると言うので、新田サヤカ(夏木マリ)ではなさそうですね。

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■キャストは塚本晋也

塚本晋也は1960年1月1日生まれ、東京都渋谷区の出身。子供の頃から父親の8ミリで映画を撮影しており、日本大学を卒業後はCM制作会社に入り、働きながら舞台活動を開始したという。

塚本晋也は、映画監督と俳優を兼務しており、朝ドラは「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「半分、青い」に出演しており、今作の「おかえりモネ」が4作目の出演となる。

「おかえりモネ」の出演者発表時に「短い期間ではありましたが、清原さんをはじめ皆さんとの共演はとても楽しく、エキサイティングでした」とコメントしているので、既に撮影は終わっているものと考えられる。

なお、「おかえりモネ」の登場人物やキャストの一覧は「おかえりモネ-登場人物とキャスト」をご覧ください。

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