平川唯一(さだまさし)の実在のモデルとネタバレ

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に登場する平川唯一(さだまさし)の実在のモデルを紹介します。

■実名で登場

「カムカムエヴリバディ」の重要人物となる平川唯一役として歌手の「さだまさし」が出演する事が分った。

オファーを受けた「さだまさしも」も主題歌のフォファーだと思ったのだが、出演の方だったので驚いたという。

朝ドラの登場人物はモデルが居ても、仮名での登場する事が多いのだが、「カムカムエヴリバディ」の平川唯一は実名登場となる。

朝ドラでも実在する人物の名前が登場する事はあるが、あくまでも名前だけであり、実名で登場するのは、「カムカムエヴリバディ」が初めてかも知れない。

おそらく、実名で登場するということは、史実を忠実に描くと思われるので、モデルなった平川唯一の生涯を紹介する。

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■平川唯一のネタバレ

モデルの平川唯一は、明治35年(1902年)2月13日に岡山県上房郡津川村(岡山県高梁市津川町)で、平川定二郎の次男として生まれた。

平川家は貧しい農家で、平川唯一は津川尋常高等小学校高等科を卒業すると、家業の農業を手伝った居た。

このころはアメリカへ出稼ぎに行く人が多く、父・平川定二郎もアメリカへ出稼ぎに行っていたのだが、いっこうに帰国しないので、平川唯一は帰国を促す手紙を書いた。

すると、反対に父・平川定二郎からアメリカへ来るように誘われたので、平川唯一は兄と共にアメリカへ渡った。

やがて、日本人向け商店で働いていた平川唯一は、英語が出来ないと仕事にならないことに気づき、商店を辞めてアメリカ人家庭の書生となり、小学校へ通い始め、わずか3年で小学校を卒業する。

高校時代には、英語を母国語とする人たちを押させて、弁論大会で3位に選ばれるほど、英語が上達しており、高校を卒業すると、ワシントン大学へと進学して、ワシントン大学を首席で卒業した。

やがて、アメリカで日本人留学生の滝田ヨネと結婚したのだが、妻・滝田ヨネは留学生としてアメリカに渡っていたので、ビザの問題があり、結婚の翌年に帰国した。

帰国後はNHK国際放送のチーフアナウンサーとなり、外国向けのニュースを担当し、終戦時は玉音放送を英語に翻訳して朗読した。

■戦後とカムカム英語

戦後、平川唯一はチーフアナウンサーとしての責任から、誰もが嫌がるGHQの通訳を務めたのだが、GHQがNHKを接収したので、通訳をしていた平川唯一はNHK幹部から反感を買ってしまう。

そこで、平川唯一はNHKを辞職したのだが、まもなく、NHKから英会話番組の担当を打診されたので、これを引き受け昭和21年2月に英会話講座(通称「カムカム英語」)の放送を開始する。

このとき、平川唯一は、暗い世間を少しでも明るくしようと思い、童謡「証城寺の狸囃子」の替え歌で「カム・カム・エブリバディ」を作り、番組で放送すると、番組は大ヒットして「カムカム英語」と呼ばれるようになった。

平川唯一は、昭和天皇の次ぐ知名度をほこり、所得番付で1位になる程だった。

しかし、NHKと金銭面で折り合いが合わなかったらしく、「カムカム英語」は人気絶頂のまま終了してしまう。

その後、平川唯一は民放で「カムカム英語」を再開するが、英語ブームの終焉もあり、聴取率は低迷を続け、昭和30年に番組は打ち切りになった。

なお、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のネタバレは「カムカムエヴリバディ-原作とモデルと実話のネタバレ」をご覧ください。

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